ジャン・アレジとのF1参戦計画が頓挫した舞台裏をスーパーGT女性監督が語る (4ページ目)

  • 川原田 剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

ーー現在のレッドブルとアルファタウリのような関係ですか?

芳賀 そうですね。トップチームのマクラーレンから技術を提供してもらってマシンを開発し、ドライバーはルイス・ハミルトン(現・メルセデスAMG)を起用する計画でした。ハミルトンは当時、マクラーレンの育成選手で、05年までF3に参戦していました。彼がGP2からF1にステップアップするまでサポートをするというプロジェクトでした。

ーーハミルトンは今では7度の世界王者に輝く、史上最強のF1ドライバーに成長しています。

芳賀
 当時は一緒にご飯を食べたりもしましたが、今はもう世界のスーパーヒーローですね。

ーー08年からのF1の新規参戦枠に10チーム以上がエントリーしていました。FIA(国際自動車連盟)はイギリスのプロドライブの参戦を承認し、06年4月にディレクシブのエントリーを却下しました。

芳賀
 エントリー却下の理由はFIAから明らかにされませんでした。F1参戦を目指すのが目的のプロジェクトだったので、申請が却下されてから急速に目標を失っていき、モータースポーツ活動を全部やめようという流れになっていきました。スーパーGTから始まったプロジェクトだったので、日本の活動だけはどうにか続けようと努めたのですが、日本も完全に撤退という最終的な判断が下りました。今でも覚えていますが、当時参戦していたGP2が併催されていた06年5月末のモナコGPのことでした。

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