ホンダスピリットで「攻めた」F1マシン。失敗作と言われても挑み続ける (4ページ目)
しかし2006年にフルワークスとなり、2007年にようやくホンダらしい挑戦のマシン作りを始めた。ある意味で純然たる第3期ホンダのデビュー作がRA107であり、それが失敗をしたからといって、すべてを否定する必要などない。失敗から学び、さらなる挑戦と成功へと結びつければよかった。ホンダの戦い方は、そういうものだ。
RA107が失敗作に終わったことで、ホンダは翌2008年を移行の年とし、2009年に導入される新レギュレーションに向けた開発にリソースを集中することを決めた。そこから生まれたのが、ブラウンGP BGP001としてチャンピオンに輝くことになるマシンだ。
ここにはブラックリーと栃木の技術者たちの自由闊達な発想が詰め込まれていた。
ベンチ上で高い性能を示していたRA809Eエンジンがサーキットを走ることはなかったが、RA109と呼ばれるはずだったマシンは圧倒的な速さを見せ、ダブルディフューザーをはじめとする革新的なアイデアの正しさを証明してみせた。2007年の大改革と挑戦と失敗がなければ、この成功が生まれなかった可能性は高い。
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当時LPL(ラージプロジェクトリーダー)として車体開発を率いていた田辺豊治らホンダの技術者たちは、成功目前での撤退に悔しさもありながら、2009年の開幕の地メルボルンで自分たちの作ったマシンが勝利を収めた姿に涙を抑えられなかったという。
ホンダとしてのホンダらしい挑戦は、実質的に2007年だけで終わった。しかし、そのチャレンジスピリットは引き継がれ、2009年に結実した。その意味でRA107は、ホンダの第3期F1活動において最もホンダらしく、そのチャレンジスピリットを体現したマシンだった。
(つづく)
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