玉田誠は亡き友の誕生日にMotoGP初優勝。最高の贈り物を病床の母へ届けた (2ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 ブリヂストンにとって、これは自社製品の信頼性を根底から脅かしかねない一大事件だった。しかも、次戦は2週連続開催のカタルーニャGPが予定されていた。モーターサイクルレーシングマネージャーの山田宏は、急遽日本側と連携を取り、性能面ではやや劣るものの確実な安全性に振ったタイヤを手配した。

 カタルーニャGPのパドックで、走行前日の木曜にブリヂストンは記者会見を設定した。その場で欧州メディアから「ムジェロのアクシデント後にタイヤを安全方向に振ることで、開発にどれくらいの遅れが生じるのか?」という質問が出た。山田は苦しそうな表情で「おそらく、2、3カ月分はセットバックを強いられることになると思う......」と述べた。

 週末の決勝レースで、玉田は不審な挙動を感じたために再びリタイア。中野は完走し、ブリヂストン勢ではこのレース最上位となる7位で終えた。その2週間後の第6戦オランダGP、TTサーキットアッセンは玉田が「爆破したいくらい嫌い」と冗談めかして語るほどの苦手コースだ。結果は案の定、12位。そして第7戦は大西洋を渡り赤道を越え、南半球のブラジルで開催されるリオGP。前年のレースでは、MotoGP初表彰台の3位を獲得した相性のよいコースだ。

 このレースで、玉田は圧倒的なパフォーマンスを見せた。 

2004年MotoGPリオGP、玉田誠(左)は圧倒的な走りを見せた2004年MotoGPリオGP、玉田誠(左)は圧倒的な走りを見せた スターティンググリッドは3列目7番手だったが、徐々に前との差を詰めて、レース中盤にはトップグループに追いついた。ラスト4周で満を持して前に出ると、あとは一気に後続を引き離した。そして、現地時間午前11時30分に全24周のレースがスタートしてから44分21秒976後、玉田は誰よりも先にチェッカーフラッグを受けた。

 この勝利は玉田のMotoGP初優勝であると同時に、02年に最高峰クラスへの挑戦を開始したブリヂストンにとっても、記念すべき1勝目になった。ほんの1カ月前には、悪夢のようなアクシデントを経験していただけに、この優勝はモーターサイクルレーシングマネージャーの山田にとっても、何よりも貴重な価値ある1勝になった。

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