2020.10.15

玉田誠は亡き友の誕生日にMotoGP初優勝。最高の贈り物を病床の母へ届けた

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

MotoGP最速ライダーの軌跡 
日本人ライダー編(2) 玉田誠 下 

世界中のファンを感動と興奮の渦に巻き込んできた二輪ロードレース界。この連載では、MotoGP歴代チャンピオンや印象深い21世紀の名ライダーの足跡を当時のエピソードを交えながら振り返っていく。
日本人ライダー2人目は、玉田誠。最高峰の舞台で持ち味の豪快な走りを見せ、日本のファンを熱狂させたそのキャリアをたどる。 

2004年、MotoGPリオGPで初優勝を果たした玉田誠(中央) 
玉田誠は2004年に表彰台の頂点に登壇した。しかし、そこに至るまでには、厳しい試練も通過しなければならなかった。

 MotoGP参戦2年目の玉田は、タバコブランドのキャメルがチームのメインスポンサーとなり、キャメルホンダというブランディングで臨むことになった。このシーズンは、一般的な印象としてはバレンティーノ・ロッシがホンダからヤマハへ移籍した最初のレース、開幕戦の南アフリカGPで劇的な優勝を飾り、メーカーが変わりながらもチャンピオン4連覇を達成したシーズンとして広く知られている。

 玉田はそのロッシを相手に、6月に行なわれた第4戦イタリアGPで激しい優勝争いを繰り広げた。ムジェロサーキットに詰めかけた大観衆の前で、玉田は5周目にトップに立つと、11周目までレースをリードした。しかし、タイヤから不審な挙動が発生したため、14周目にリタイア。メディアセンターのモニターには、コースサイドで停止したバイクにまたがる玉田がうなだれて悔しそうにタンクを叩く姿が映っていた。

 実はその少し前に、同じブリヂストンタイヤを履くカワサキの中野真矢が、メインストレートで転倒していた。原因は、リアタイヤのバーストだった。コースサイドのコンクリートウォールに激突する寸前の大クラッシュで、時速300kmからの転倒だっただけに、軽い打撲と擦り傷程度で済んだのは僥倖(ぎょうこう)といっていい。タイヤに不審な振動が生じていた玉田の場合は、中野のようなバーストこそ起こさなかったものの、その寸前の状況にあったということだ。