玉田誠は亡き友の誕生日にMotoGP初優勝。最高の贈り物を病床の母へ届けた (5ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 かつてMotoGPで優勝や表彰台を獲得した若者は、さまざまな苦楽を味わう年月を経た後に、アジアを起点として世界を視野に入れることのできる指導者へ成長を遂げた、ということなのだろう。

 19年はアジアロードレース選手権や全日本ロードレース、鈴鹿8耐などに参戦して多忙な一年を送った。だが、20年は新型コロナウイルス感染症の蔓延により、玉田の率いる多国籍チームは活動停止を余儀なくされている。現在は、パンデミック終息後の活動再開に向けて、準備を続けている最中だという。

「ライダーなら、アジアからSBKやMotoGPなど世界の舞台へ行ってチャンピオンを獲れる選手。メカニックの場合なら、たとえばHRC(Honda Racing Corporation:ホンダレーシング)に入っても恥ずかしくないくらいしっかりした仕事のできる人材。そういう人たちを育てたい。そして、やがて自分の国に戻ったときにそのノウハウを各国でシェアできるようにしてほしい、というのが目標です」

 ただ、その目標が遠大なものであることは、玉田自身、十分すぎるくらいに理解している。

「正直、道のりはとんでもなく長いと思います。5年やそこらでできるわけがない。タイでは子供にレースを教えるアカデミーが近年になって始まったばかりで、彼らが成長するまで少なくとも10年。おそらくもっと時間のかかる、ものすごく息の長い目標です。めちゃくちゃ大変ですよ。でも、これだけは絶対にやりたいんです」

【profile】 
玉田 誠 Tamada Makoto 
1976年、愛媛県生まれ。95年に全日本ロードレース選手権250ccクラスでデビュー。99年にスーパーバイククラスにステップアップし、2001年にはチーム・キャビン・ホンダに加入。03年、プラマック・ホンダからMotoGPに参戦し、1年目から表彰台を獲得。2年目のリオGPでは日本人2人目となる優勝を果たす。07年にMotoGPを離れ、スーパーバイク選手権(SBK)や鈴鹿8耐などの参戦を経て、現在は後進の育成にあたっている。

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