引退までの苦闘と輝き。ホルヘ・ロレンソは清々しい表情で去った

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

MotoGP最速ライダーの軌跡(4)
ホルヘ・ロレンソ 下

世界中のファンを感動と興奮の渦に巻き込んできた二輪ロードレース界。この連載では、MotoGP歴代チャンピオンや印象深い21世紀の名ライダーの足跡を当時のエピソードを交えながら振り返っていく。 4人目は、ホルヘ・ロレンソ。向こう気と愛嬌をもち、人間味あふれる王者の歩みをたどっていく。

2019年引退したロレンソ。故郷に近いバレンシアGPで会見を開いた2019年引退したロレンソ。故郷に近いバレンシアGPで会見を開いた ヤマハのオートバイは昔から、「コーナリングマシン」、「ハンドリングに優れたバイク」と表現されることが多い。

 この言葉が端的に表しているのは、MotoGPマシンYZR-M1の性能を最大限に発揮するためには、高い旋回性や機敏な切り返し(アジリティ)を生かす走らせ方、つまりレールの上をきれいにトレースしていくような滑らかなライン取りが、最も効率的にタイムを出す方法であるということだ。そして、ホルヘ・ロレンソのライディングスタイルはまさにそれを、見事なくらいに体現していた。

 長い直線の終端からスムーズに減速してコーナーへ進入し、高い旋回速度を維持しながら加速につなげて立ち上がってゆく。流れるようなフォームとムダのない走行ラインで、高いアベレージタイムを淡々と刻んで後続選手たちを引き離していく。それがロレンソの勝負スタイルであり、勝ちパターンだった。

 そうやって、ロレンソはヤマハのマシン特性を最大限に活かすことで2010年、12年、15年の3回、世界チャンピオンの座に就いた。ヤマハの特性とロレンソの乗り方は完璧にマッチし、チームや企業側とライダーの関係も良好だった。おそらくこのまま、彼はヤマハのライダーとして選手生活を最後まで全うするのだろう、だれもがそう思っていた。しかし、16年にロレンソはある大きな決断をする。

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