日本での挫折をきっかけに変身。ホルヘ・ロレンソは王座へ歩き出した (4ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 250ccクラス1年目はホンダのマシンで参戦した。だが、このシーズンのホンダ陣営トップチームは、ペドロサと青山博一の所属するテレフォニカ・モビスター・ホンダ250。また、04年に125ccクラスを制したドヴィツィオーゾもチーム体制がそのまま持ち上がる格好で中排気量にステップアップしてきた。アプリリア陣営にはルーチョ・チェッキネロ・レーシングのストーナーがいた。

 当時からロレンソの鼻っ柱の強さはパドック内で評判だったが、あるチーム関係者の話が印象的だった。

「セッション中に、ピットボックスへ戻ってくると、ホルヘは『こんなセットアップじゃ走れない、あそこをこうしてくれないとタイムを出せない』などといろいろなことを言う。しかし、とりあえず言うだけ言わせてから特にセットアップも変えずに『じゃあ、走っておいで』と伝えると『はい』といって素直に出て行く。あれで結構、愛嬌のあるライダーなんだ」

 そして、冒頭に記したとおり、この05年シーズン終盤にはやや乱暴な乗り方が裏目に出て、1戦出場停止の厳しい処分を受けるに至る。タイトルはペドロサが獲得し、ランキング2位がストーナー、3位はドヴィツィオーゾ、4位に青山。ロレンソは5位で終えた。

 06年にロレンソは、チームごとアプリリア陣営へスイッチした。それまでのシーズンとは一転した安定感の高さで8勝を挙げ、年間総合優勝を達成。07年もシーズン9勝で連覇を成し遂げた。

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