日本での挫折をきっかけに変身。ホルヘ・ロレンソは王座へ歩き出した (3ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 同年のシーズンは、鈴鹿サーキットの日本GPで開幕した。ロレンソは125ccクラスのデルビファクトリーチームからエントリーすると公表されていたが、ピットボックスに彼の姿はなかった。当時まだ14歳で、ルールが定める参戦最低年齢の15歳に達していなかったためだ。

 第2戦の南アフリカも欠場。ようやく世界選手権のデビューを果たしたのは、地元グランプリの第3戦スペインGPだった。15歳の誕生日を迎えた土曜のセッションから、晴れて走行が可能になった。このレースは22位で完走。以後も、経験豊富な選手たちに揉まれながらポイント圏内に届くか届かないかというレースが続き、年間ランキング21位でデビューイヤーを終えた。

 翌03年も、シーズン序盤から転倒リタイアや、完走してもポイント圏外のレースが続いた。つまり当時の彼は、よくいる未熟な若手ライダーのひとりで、決して強い存在感を発揮していたわけではなかった。そんな状態だったロレンソが、その名を一気に世に知らしめたのは同年第12戦のブラジルGPだ。

 この連載のケーシー・ストーナーの回でも記したが、その時の125ccクラス決勝レースは、ロレンソやストーナー、ダニ・ペドロサ、アンドレア・ドヴィツィオーゾという後に最高峰クラスで好敵手として激しい戦いを繰り広げる顔ぶれがそろい、コーナーごとに順位を入れ替えるバトルを最終ラップまで続けた。緊張感に満ちた大接戦を制したのが、ロレンソだ。今まで一度も表彰台を獲得したことのない少年が、125ccクラスのトップライダーたちの争いに割って入り、優勝をしたのだから、パドック中のレース見巧者(みごうしゃ)たちが驚いたのも無理はない。

 ロレンソはこの快挙により、注目を集めるライダーの一角に浮上した。とはいえ、まだかなりの荒削りであったことも事実で、同年は以後のレースで3位表彰台を1回獲得したのみ。年間総合12位という成績で終えた。翌04年は安定感を増し、3戦で優勝を飾ってランキング4位。05年から、250ccクラスへステップアップした。

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