ロッシは5年連続で王座獲得。20代ですでに「生きる伝説」だった (3ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 そんな弱小陣営だったヤマハへ、ロッシはクルーチーフのジェレミー・バージェス以下、スタッフたちを引き連れて移籍した。ヤマハ側は、新たに開発の陣頭指揮を執ることになった古沢政生が、エンジン技術にクロスプレーンクランクシャフトを導入した不等間隔爆発を採り入れ、マシン面での戦闘力向上を図った。

古沢政生がエンジンの改良を測ったヤマハYZR-M1に乗るロッシ古沢政生がエンジンの改良を測ったヤマハYZR-M1に乗るロッシ
 開幕前のテストからロッシとヤマハは水準の高い走りを見せた。だが、この時期の大方の見方は「将来的にチャンピオンを獲る見込みはあるが、しばらくはきっと苦労を強いられるだろう」というものだったように記憶している。

 04年シーズンは、南アフリカのウェルコムサーキットで開幕した。

 決勝レースは、宿敵マックス・ビアッジとの一騎打ちになった。結果は周知のとおり、ロッシがビアッジとの激戦を僅差で抑え切り、ホンダからヤマハへの移籍後初レースを制した。そして、以後のレースでも優勝争いを続けてシーズン16戦中9勝。最終戦ひとつ手前の第15戦オーストラリアGPでチャンピオンを決めたのだ。ウイニングランでまとったTシャツに記されていた〈Che Spettacolo!〉(超劇的)というイタリア語の文字が示すとおりのドラマチックな一年だった。

 そして、明くる05年も当然のようにチャンピオンを獲得した。ホンダからヤマハへメーカーをまたいで5年連続の王座に就き、しかもあれだけ勝てなかったヤマハを即座に最強チームへ立て直したロッシは、この当時まだ20代半ば。すでに「生きる伝説」といっていい存在になっていた。

 06年は、タイトルを決める最終戦バレンシアGPの決勝で転倒して自滅し、ホンダのニッキー・ヘイデンに王座を奪われた。07年は、ケーシー・ストーナーが圧倒的なスピードを発揮して、ドゥカティに初のチャンピオンをもたらした。  そして08年は、250ccクラスから昇格してきたホルヘ・ロレンソがチームメイトになった。ヤマハファクトリーエースの座を脅かしかねないロレンソの加入で、チームにはかつてないほどピリピリした緊迫感が漂った。

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