ついに「勝てる日本人ライダー」を証明。中上貴晶がMoto2初優勝 (2ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira  竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 1992年生まれの中上は、2006年に全日本選手権125ccクラスで6戦6勝を挙げてチャンピオンを獲得。同時に、ダニ・ペドロサやケーシー・ストーナーを育てたアルベルト・プーチが主催する「MotoGPアカデミー」にも参加して、スペイン選手権を戦っていた。2008年からはMotoGP125ccクラスに参戦したが、翌年いっぱいでシートを喪失し、2010年から全日本に戦いの場を移した。そして、2012年にふたたびチャンスを掴み、Italtrans Racing TeamからMoto2クラスに参戦。2014年に現チームへ移籍した。

 前述したとおり、その間には何度かの表彰台を獲得しており、トップグループで先頭に立って走行をしたこともある。だが、過去のいくつかの場合と比べても、今回の中上は危うい様子がまったくといっていいほど感じられなかった。

 土曜の予選を終えた段階では、フロントローから0.661秒差の2列目6番グリッド。オランダ独特の「ダッチウェザー」に翻弄されたセッションで、十分なタイムアタックをできなかったが、「明日がドライコンディションなら、この週末のセッションで積み上げてきたことを出し切れば、結果は必ず出ると思う」と話していたとおり、決勝日午前の20分間のウォームアップ走行ではトップタイムを記録した。

 そして、12時20分に始まったレースでは、10周目にトップに立つと、あっという間に後続を引き離してレースをコントロールする状況に持ち込んだ。やがて雨が降り始め、ラスト2周で中上の後ろを走る昨年チャンピオン、ヨハン・ザルコとの差が1.555秒となっていたときに、赤旗が提示されて中断。全24周のうち、21周終了段階での順位でレースが成立した。

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