F1全盛期。『週プレ』が見つめた「セナ狂騒曲」 (2ページ目)
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91年、母国ブラジルでの勝利に喜ぶセナ photo by Reuters/AFLO 91年の第2戦ブラジルGPで、セナが苦闘の末母国GP初優勝を飾り、感極まって自分で自分の頭にシャンパンを掛けた時、舘内氏はこのように書いている。
「おそらくレース終盤、次々にトラブルに襲われたあたりから、かなり"向こうの世界"に行っていたんじゃないかな。たとえれば、ヒマラヤを次々と単独無酸素で登頂しているラインホルト・メスナー(※)に近い」
※イタリア人登山家。8000メートル峰全14座完全登頂(無酸素)を人類史上、最初に達成した。
ただセナに熱狂するのではなく、セナを見て考えろ。週プレとしてはそれが言いたかった。その姿勢は、セナの事故死で頂点に達した。
その時の記事は、私がまとめた。
1994年 週刊プレイボーイ21号
追悼特集 『セナ、壮絶事故死へのレクイエム』
5月1日、イタリア・ボローニャ郊外のイモラサーキット、タンブレロー・コーナーにてアイルトン・セナは事故死した。
日本におけるその反響の大きさはみなさんご存知のとおりだ。
だが、その反響の多くが、モータースポーツをほとんど理解していなかったり皮相的であったり、スキャンダリズムに満ちていたりした。
NHKは、どこの配信原稿だが知らないが、いつもの事務的な口調で、
「この事故に関して、今シーズンから自動姿勢制御装置(アクティブサスのこと)などハイテクが禁止されたことが悲劇を招いたのではないかという声があがっています」
と言っていた。
ハイテク禁止が原因だという意見はいろいろなところで聞かれる。が、これは根本的におかしい。去年までは、「ハイテクによって危険なまでにコーナリングスピードが上昇している」と、ハイテクの危険性のほうが指摘されていたのだ。また、ハイテクのトラブルによって起きたクラッシュもずいぶんあったのだ。その時はたまたま死者が出なかっただけの話。
もし、アクティブサスのトラブルでセナが事故死していたとしたら、彼らは必ずや、
「ハイテク偏重の姿勢が悲劇を招いたのではないかという声があがっています」と報道したに違いない。
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