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ウマ娘ではサイボーグ。ミホノブルボンは日本ダービーで圧倒的な強さを誇っていた (2ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • photo by Kyodo News

 実際、ハードトレーニングで磨かれた肉体は、レースでの爆発的なパフォーマンスにつながっていく。1991年、3歳でデビューしたミホノブルボンは、その年3戦3勝。GⅠ朝日杯3歳S(中山・芝1600m)を制して、一気に世代の頂点に立った。

 翌年、同馬は3歳馬によるクラシック三冠(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)を目指すことになる。ただ、この馬は短距離血統であり、2000m以上で行なわれる三冠戦での「距離不安」を指摘する声も多かった。

 だが、ミホノブルボンと戸山は、ひたすら鍛えることで距離不安を克服していく。1992年、明けて4歳になると、まずは1800mの重賞を勝利。そうして、3歳クラシック初戦のGⅠ皐月賞(中山・芝2000m)でも、2着に2馬身半の差をつけて堂々と勝ちきった。

 5戦負けなし。それも4歳になってからのレースは、スタートですぐさま先頭を奪い、来るなら来いとばかりに強気の逃げを打つ。そうして終盤では、後続が迫るどころか、ミホノブルボンについていけず脱落していくのである。他馬が恐れをなすような、圧倒的な強さだった。

 そして、この強さの頂点といえるのが、日本ダービーでのレースぶりだ。堂々の1番人気に推された同馬は、スタンド前でゲートが開くと、1コーナーまでの間に先頭を奪い、いつものパターンに持ち込む。

 1ハロン(200m)ごとのラップタイムを見ると、2ハロン目以外をすべて12秒台で並べた。まさに狂いのないペース。そして直線に入ると、鍛え上げられた肉体は衰えることなく、むしろ力強さを増していく。

 終始2番手で追いかけたライスシャワーが必死に追いかけるも、ブルボンはむしろ突き放した。終わってみれば、2着ライスシャワーに4馬身差の圧勝劇。数あるダービーのなかでも、強さを見せつけたレースとしてはトップクラスだったはずだ。

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