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「無敗」が脚光を浴びた2020年。「無勝」のハルウララに会いたくなった (2ページ目)

  • 新山藍朗●取材・文 text&photo by Niiyama Airo

 同ファームの宮原優子さんによれば、ハルウララがここに来たのは2012年12月のこと。すでに丸8年になる。

 ハルウララを巡っては、当時から所有権の問題などで、あれこれトラブルが起きていて、一部では「生死不明」とまで言われていたが、紆余曲折を経て、最終的にはこの牧場に落ちつくことになった。

 しかし、この牧場に来てしばらくすると、当時のオーナーから預託料が払われなくなってしまう。またしても、ハルウララはトラブルに巻き込まれることになるが、宮原さんらが中心となって、やがてハルウララを支援する『春うららの会』が設立された。

 現在は、同会が数十人の会員から会費を集め、それによって、ハルウララの余生を送る費用が賄われている。

 思い返せば、ハルウララの存在が知れ渡ったのは2003年頃のこと。

 馬券が売れず、存続が危ぶまれた高知競馬が考え出した窮余の一策が"負け続ける馬"ハルウララを売り出すことであった。

 この作戦は見事に当たり、この年の暮れに100連敗を記録するや、ますますハルウララの人気は上がった。

 ハルウララは当時、年間20レース以上走っていた。その出走手当てが預託料とほぼ同額だったことから、負けても、負けても競走馬であり続けられたのである。

「競走馬としての素質がないことは乗ってみればわかります。走る馬は体幹がしっかりしていて無駄なブレがないんですが、この馬は結構ブレます。ギクシャクギクシャクという感じで、サスペンションが壊れた車みたいで、スピードが乗ってくると(騎乗している)こっちが怖くなります。

 ただその一方で、負けん気はあるし、なにより丈夫。長く現役で走り続けられたのは、その丈夫さのおかげでしょう」

 そう語るのは、宮原さん。

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