新潟記念の本命アストラエンブレムは、最強世代の「遅れてきた大物」か (2ページ目)

  • 土屋真光●文 text by Tsuchiya Masamitsu
  • 三浦晃一●撮影 photo by Miura Koichi

 当時のアストラエンブレムについてそう語るのは、専門紙『勝馬』のトラックマン野口誠記者。実際にアストラエンブレムは、デビュー戦では470kgあった体重を、2戦目462kg、3戦目452kgと減らしていった。特に3戦目は、2カ月の間隔を取っていながら、マイナス10kgでレースに出走した。

 野口記者が続ける。

「そうした状況にありましたから、一戦、一戦が勝負。陣営もレース後のケアは入念にして、時間も十分にかけていました。それでも体質の弱さはなかなか改善されず、体重も増えないままレースで使うことになってしまい、重賞ではもうひと踏ん張りがきかずに僅差での敗戦が続いていたのでしょう」

 サウジアラビアRC後も重賞に挑戦するが、4着が精一杯。いずれも着差はわずかだっただけに、結果が出ない歯がゆさが常につきまとった。

 また、体重が増えない原因には、体質の他に気性面による影響もあった。

「この馬は、当日輸送のレースだとテンションが上がりすぎてしまうんです。ですから、美浦トレセン所属にもかかわらず、一番近い中山競馬場のレースに出走したのは、昨年春のGIIニュージーランドトロフィー(中山・芝1600m)のみ。それ以外は、新潟や関西に遠征するか、関東でも美浦所属の馬が前日入厩できる東京競馬場のレースになりますから、当然(馬体重は)輸送による影響を受けていると思います」(野口記者)

 確かにアストラエンブレムは、これまで12戦して東京が4戦、京都、中京、新潟が各2戦、阪神と中山が各1戦となっている。GI出走というわけでもないのに、12戦中5戦が関西での競馬というのは、関東馬としては珍しいケースだ。

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