【競馬】日本競馬に適した繁殖牝馬を見出した外国人牧場長の「慧眼」 (3ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • 写真提供:パカパカファーム

 そして、2001年11月。アメリカ・ケンタッキー州で行なわれたセリ市「キーンランド・セール」にて、スウィーニィ氏は念願だったこの一族の牝馬を2頭購入する。それが、現在もパカパカファームで繋養されている、バブルドリームとオージーカンパニー。いずれも、バブルカンパニーの孫だ。
 
「まだ(牧場を)開場したばかりの時期でしたから、当然ながら、あまり値段の高い繁殖牝馬を買うことはできません。しかし幸いにして、バブルカンパニーの一族は、アメリカでは決して人気のあるほうではありませんでした。通常、アメリカのセリ市では、人気のある馬ほど開催早々、つまり初日や2日目に出展されるものなのですが、2頭が出て来たのは8日目くらいでしたからね。この話だけでも、リーズナブルだったということがわかるでしょ(笑)。我々にしてみれば、本当にラッキーでした」

 そうして購入した2頭の産駒がデビューするのは、それから3年後になるのだが、奇しくもその間に、バブルカンパニーの血を引く他の馬たちが躍動した。2003年には、ザッツザプレンティ(父ダンスインザダーク)がGI菊花賞を制覇。翌2004年には、ショウナンパントル(父サンデーサイレンス)がGI阪神ジュベナイルフィリーズを勝利した。

 前者はバブルカンパニーの孫で、後者はバブルカンパニーのひ孫。それぞれ父はサンデーサイレンス系(※ダンスインザダークはサンデーサイレンスの仔)であり、スウィーニィ氏の見立てが正しかったことを証明したのだ。

 この結果から、改めてスウィーニィ氏は、バブルカンパニーからなる一族へのこだわりを強くした。やがてそれは、ディープブリランテの母、ラヴアンドバブルズへとつながっていくことになる――。

(つづく)

  ハリー・スウィーニィ

1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。
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