【競馬】「パカパカファーム」という牧場名はこうして生まれた
町中を走っていると、ひと際目立つパカパカファームの馬運車。『パカパカファーム』成功の舞台裏
連載●第12回
ダービー馬ディープブリランテを輩出した『パカパカファーム』(北海道新冠町)の成功の秘密を探っていく好評連載。今回は、同牧場のオーナーであるアイルランド人のハリー・スウィーニィ氏が、「パカパカファーム」という個性的な牧場名をつけるに至った経緯に迫る――。
パカパカファームについて語るうえで、欠かすことができないのは、その印象的な牧場名が生まれるまでのエピソードだろう。いかにも外国人らしい、遊び心にあふれたネーミングは、今や競馬ファンのほとんどに馴染みあるものとなったが、この牧場名が誕生する舞台裏では、外国人ゆえに直面する苦労があった。
「資金不足という問題、これは開場から今に至るまで、常に私たちを悩ませてきました。特に牧場を開場するときは、本当にお金がありませんでした。というのも、土地代などの初期費用は、ほとんど自分たちの現金で支払う必要がありましたから」
スウィーニィ氏が牧場の開場へ向けて奔走していたとき、何より苦労したのが、資金集めだった。銀行の融資を受けたくても、外国人という理由から、ことごとく申請を却下されてしまったからだ。当時の農林漁業金融公庫など、国で管轄するいくつかの金融機関は、比較的融通が利いたようだが、それでも多くの初期費用は自らの現金で工面する他なかったという。
あわせて、「取引相手からすれば、多少なりとも外国人に対する"不信感"があったはず。それを打ち消すためにも、お金のやり取りは厳格に行なう必要がありました」とスウィーニィ氏。信頼を得るためには、なるべく迅速に、現金で支払いを済ませることが重要だった。
「ですから、牧場の広告やブランディングに予算を割くことは、どうしてもできなかったのです」
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