松山英樹、金谷拓実に続く快挙。中島啓太はマスターズでワールドクラスの真髄を見せるか (2ページ目)

  • 三田村昌鳳●文 text by Mitamura Shoho
  • photo by Kyodo News

 途中、リーダーボードを見ると日の丸が上に2つあって、これが日本での戦いならば、そういったことも思わないで戦えていたと思うんですけど......。海外で、しかもこの遠征でも(中島とは)ずっと同じ部屋でしたから。ほんと、昨日まで(一緒の)チームでしたからね。

 もちろん、勝ちたいという気持ちが強かったけれど、嫌な感じでした。どっちかが悔しい思いをしなければいけないわけですからね。チームなら、一緒に喜んだり、悔しがったりできますけどね。どちらかが傷つくわけですから、複雑でした」

 対して、中島はこう語っている。

「たぶん(最終日の)14番ホールぐらいまでは、リーダーボードでは金谷さんより上に(自分の名前が)あったと思うんですけど、金谷さんが(猛追して)来ているのはわかっていました。(金谷の組から)すごい拍手が聞こえてきたし、(金谷が)ガッツポーズしているのも見えたので(笑)。

 終わってみれば、僕は10番でバーディーをとって、その後はノーバーディーでした。一方で金谷さんは、14番、15番、16番とバーディー。結果的には2打差でしたけど、内容的には10打差ぐらいの感じがありました。

 ですから(敗戦は)ちゃんと受け止められましたし、ほんと素直な気持ちで金谷さんの優勝を祝福できました」

 その時、中島に「じゃあ、来年のマスターズには、金谷くんの応援に行かないと」と話を振った。すると、中島は「いや、マスターズは選手として行きたいので、我慢します」ときっぱり。その姿が強く印象に残っている。

 中島の性格は、冷静沈着。物事をひとっ跳びに進んでいくことはなく、足元をしっかりと見つめ、足りない部分を補強しながら、あらゆる準備を怠らない誠実さがある。

 振り返れば2021年、中島はまず日本アマチュア選手権で念願の優勝を果たした。目標への階段をまた一歩進めると、「次は全米アマチュア選手権に挑みます」と力強く語ったが、同大会では惨敗。上位64名で行なわれるマッチプレーにさえ進むことができなかった。

 しかし、その惨敗がまた、中島を太く育てた。現に「全米アマでこてんぱんにやられて、さらに踏ん張れた」と中島。こうしたプロセスが、パナソニックオープンでのプロツアー史上5人目のアマチュア優勝、さらにはアジアパシフィックアマチュア選手権の戴冠へとつながったに違いない。

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