青木功の「奇跡」に始まった日本勢の米ツアー制覇。わずか5人の軌跡 (2ページ目)

  • text by Reiko Takekawa/PGA TOUR JAPAN
  • photo by PGA TOUR

 まず、日本勢初の快挙を達成したのは、青木功(現・日本ゴルフツアー機構会長)。1983年2月のハワイアンオープンだった。最終ホールで、イーグルを奪うミラクルショットを見せての逆転優勝。その劇的なシーンが、今なお脳裏に焼きついている人も多いのではないだろうか。

 当時、青木は40歳。舞台となったのは、現在もPGAツアーのソニーオープンが開催されているハワイ・オアフ島のワイアラエCCだ。

 最終日を首位タイでスタートした青木だったが、最終18番(パー5)ホールを迎えると、前の組のジャック・レナー(アメリカ)が先にバーディーを奪取。1打のリードを奪ってホールアウトした。

 1打を追う形となった青木。同じく18番でバーディーを奪えば、プレーオフに持ち込める状況だったが、ティーショットがラフ、2打目もラフにつかまった。

 勝負の行方を左右する運命の3打目、青木がラフから放ったボールはグリーンでワンバウンドして、そのままカップに吸い込まれた。奇跡の逆転優勝を決めた鮮やかなチップインイーグル。青木はカップインしたことがわかると、両手を広げてフェアウェーを駆け出した。

 日本勢、初の米ツアー優勝。日本中が興奮したその瞬間は、まさにドラマチックなものだった。以来、青木は「世界のアオキ」と呼ばれるようになった。

 この青木の優勝から、次に日本勢が米ツアーで快挙を遂げるまで、実に18年の歳月を要することになる。

 それを実現したのは、2000年から米PGAツアーに本格参戦を果たした丸山茂樹だった。

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