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先駆者・中田英寿、イタリア人記者が振り返る「衝撃的なセリエAデビュー」と「スクデット獲得への貢献」 (3ページ目)

  • ルカ・ビアンキン(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)●文 text by Luca Bianchin (La Gazzetta dello Sport)井川洋一●翻訳・構成 translation by Yoichi Igawa

【ローマの18年ぶりのスクデット獲得に寄与】

 1999年夏にはASモナコから中田の獲得オファーが届いたが、ペルージャはこれを拒否。ローマ出身の好々爺カルロ・マッツォーネを新監督に迎え、中田の2シーズン目が始まった。前半戦で2得点と6アシストをマークすると、冬のマーケットで再び中田への人気が高まり、マッツォーネ監督の愛するASローマが推定移籍金300億リラ(約30億円)を提示すると、ペルージャは肯首。ローマの指揮官に就任して半年ほどだったファビオ・カペッロ監督が、攻撃的なMFとして獲得したのだが、それはエースのフランチェスコ・トッティのポジションでもあった。

 中田はローマ移籍後5試合目となったペルージャとのアウェーゲームで、新天地での初得点をマーク。翌22節のフィオレンティーナ戦でもネットを揺らすなど、1999-2000シーズンの後半戦はトップ下とボランチに併用される形ながら、3得点1アシストの成績でローマの6位フィニッシュに貢献した。

 するとローマはそのオフに、1983年以来の2度目のリーグ優勝を果たすべく、共にアルゼンチン代表のFWガブリエル・バティストゥータ、DFワルテル・サムエルらを獲得。もともとブラジル代表DFカフーもいたため、3つのEU圏外選手枠が埋まることになり、中田はローマでの実質2年目、初のフルシーズンで出場機会が激減してしまった。それでもシャツの売り上げは、トッティに次ぐチーム2位だったけれども。

 しかしリーグ機構は2001年5月にこのルールを撤廃し、その2日後にローマはシーズン最大の山場を迎えた──首位チームが2位ユベントスの本拠地に乗り込んだ頂上決戦だ。

 逆転優勝には是が非でも白星が欲しかったユベントスは開始から攻め立て、4分にデル・ピエロ、6分にジダンが決めて2点を先行した。窮地に立たされたカペッロ監督は後半残り30分の時点で、直前のルール変更によりベンチに置くことができた中田を、トッティと交代で投入──この大胆な采配が功を奏すことになる。

 終了まで10分に差し掛かろうとした頃、中田は雨がしたたるピッチの中央でボールを持つと、右足を振り抜いて鋭いミドルシュートを沈めた。反撃の狼煙を上げた後、再び強烈な一撃を見舞うと、ユベントスの守護神エドウィン・ファン・デル・サールが球を弾いたところをヴィンチェンツォ・モンテッラが詰めて、ローマは勝点1を持ち帰った。

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