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先駆者・中田英寿、イタリア人記者が振り返る「衝撃的なセリエAデビュー」と「スクデット獲得への貢献」 (2ページ目)

  • ルカ・ビアンキン(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)●文 text by Luca Bianchin (La Gazzetta dello Sport)井川洋一●翻訳・構成 translation by Yoichi Igawa

【黄金時代のユベントスを相手に2得点デビュー!】

 ペルージャの入団会見に現れた中田は、髪の毛を黒に戻し、スーツを着て、ネクタイを締めていた。右の脛には、W杯のアルゼンチン戦でディエゴ・シメオネに削られた傷がまだ残っていたらしいが、笑顔を浮かべながらイタリア語で自己紹介をした。

 ペルージャの県知事が「アジアからの旅行者が劇的に増えるだろう」と予想した通り、当地は多くの日本人記者の根城となり、ツーリストも後を絶たなかった。中田自身はオフになると、趣味のカメラを携えて1997年にペルージャを襲った地震の跡地を巡ったりしていた。地元のニューススタンドでは、中田に影響を受けたイタリア語の漫画『ナガノ』が売られていた。
 
 つまり、どちらからも距離を縮めようとしていたのだ。

 1998年9月13日、中田はユベントスとのセリエA開幕戦でデビューし、いきなり2ゴールを決めた。中田が1年半前にトライアルを受けた相手チームにはこの時、ジダン、アレッサンドロ・デル・ピエロ、フィリッポ・インザーギ、エドガー・ダービッツなど、直前のW杯で活躍したワールドクラスが揃っていたが、エレガントでスキルフルな21歳の日本代表MFは彼らと遜色のないパフォーマンスを披露。最終的に3-4で試合には敗れたものの、衝撃的なデビューには変わりなかった。

 中田はこの1998-99シーズン、リーグ戦で10得点を記録──ピアチェンツァ戦での美しいオーバーヘッドキックでのゴールも含めて。ペルージャはACミランとの最終節に1-2で敗れるも、中田がPKを決めるなどして残留を決めた。この時はシーズンふたり目の監督、ヴヤディン・ボシュコフがチームを率いており、このユーゴスラビア人監督はサンプドリアでスクデットを獲得した時に重用した選手と比較して、中田を次のように評した。

「彼は完成度の高い選手だ。ピッチ外の振る舞いを含めると、ロベルト・マンチーニのような、この競技における真のジェントルマンだね」

 センセーショナルな活躍でイタリア中にファンが生まれたが、中田はあくまで中田だった。旅とファッション、アートを好むこの若者は、まだインターネットがそこまで発達していなかった当時から自身の公式ウェブサイト『nakata.net』を開設し、そこにイタリアでの日々を綴っていた。イタリア語と英語も上達していき、当時の日本代表監督を務めたフィリップ・トルシエは「中田のコミュニケーション能力が高まっていてうれしい」と喜んだ。

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