フィーゴ、ジダン、ロナウドに喝を入れ、会長にも物申す フェルナンド・イエロは正真正銘の「キャプテン」だった (3ページ目)
【スペイン代表歴代5位の得点数】
ペレス体制が発足した2000年から、レアル・マドリードは3シーズンで2回のラ・リーガ優勝を飾っている。数字の上では成功の部類に入るだろう。
だが、ライバルを圧倒したことは一度もない。2000‐01シーズンはデポルティボ・ラコルーニャに7ポイント、02‐03シーズンはレアル・ソシエダにわずか2ポイント差の栄光だった。
「もう少し守りを強化すべきではないか」
イエロが上層部に進言したのは、レアル・マドリードを強くしたいという一心からだ。ところが、自らの構想を否定されたペレス会長は怒り、34歳という年齢を理由にイエロとの契約を更新しなかった。
翌年、マケレレも守備軽視の風潮に嫌気が差し、チェルシーに新天地を求めた。以降、レアル・マドリードは失速。ラ・リーガのタイトルを取り戻すまで4年を要している。彼らにとっては長い空白だった。
187cm、84kgという恵まれた体躯を駆使して対戦相手を圧倒したイエロは、卓越した状況判に基づくポジショニングも秀逸だった。空中戦とセットプレーも出色で、21ゴールを挙げた1991-92シーズンは得点ランキング2位。スペイン代表でもダビド・ビジャ、ラウール・ゴンサレス、フェルナンド・トーレス、ダビド・シルバに続く歴代5位の29ゴールを記録した。ディフェンダーであるにもかかわらず、だ。
しかし、彼の強さをもってしても、スペイン代表を高みに導けなかった。1996年のユーロはベスト8止まり、2年後のフランスワールドカップは「無敵艦隊」と称され優勝候補の一角に推されながらグループリーグで敗退した。さらに2000年のユーロもベスト8で散っている。
2002年の日韓ワールドカップは悔恨以外の何物でもない。準々決勝の韓国戦だ。ルベン・バラハのゴールがなぜか取り消された。ホアキン・サンチェスのクロスはなぜかゴールラインを割っていたと判定された。イエロとスペイン代表は微妙なジャッジに泣かされ、最終的にPK戦で敗れ去っている。
のちにスペイン紙『Mundo Deportivo』が「スペインは強盗の被害者」「ワールドカップ史上最悪の判定」と声高に否定したように、審判団のジャッジは限りなく怪しかった。
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