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大統領になった「リベリアの怪人」ジョージ・ウェア ベンゲルやカペッロが寵愛したアフリカ人初のバロンドーラー

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第8回】ジョージ・ウェア(リベリア)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第8回のヒーローは「リベリアの怪人」ジョージ・ウェアにスポットを当ててみたい。1990年代に圧倒的なオーラでゴール前に君臨し、欧州屈指のディフェンダーたちを黙らせてきた稀代のストライカーは、引退後、まったく異種のセカンドキャリアを歩んでいった──。

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ジョージ・ウェア/1966年10月1日生まれ、リベリア・モンロビア出身 photo by AFLOジョージ・ウェア/1966年10月1日生まれ、リベリア・モンロビア出身 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 瞬く間に加速して、相手DFを無力化する。驚異的なジャンプ力で楽々と競り勝ち、強烈なヘディングをゴールライン上に叩きつける。

「リベリアの怪人」ジョージ・ウェアである。

 すさまじい運動能力だった。アフリカの大地で育ったアスリートはみな規格外で常人離れしているが、ウェアは規格の大外の、さらにその外側で異彩を放っていた。ともにACミランでプレーしたパオロ・マルディーニはこう表現する。

「ジョージと違うクラブで本当によかった。どうやれば止められるのか、練習でもこっぴどくやられてばかりだった」

 1990年代から20年近く世界のトップDFとして鳴らした男の証言は、説得力にあふれている。練習とはいえマルディーニが止められないのだから、ほかのDFが苦戦したのは当然だ。

 ウェアの才能が開花したのは、アーセン・ベンゲル監督との出会いである。

 1988年、フランスのモナコを率いていたフランス人の名伯楽は、リベリア生まれのストライカーに驚愕した。並外れた運動能力に舌を巻き、少しでも多くのチャンスを与えようとしていた。

 その年のモナコはマーク・ヘイトリーが得点源だった。当時イングランド代表だったストロングヘッダーを外し、未知数のウェアを起用するのは難しい。しかし、ヘイトリーが負傷。ベンゲル監督に迷いはなかった。

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