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【プレミアリーグ】リバプールFWサラーはもっと評価されるべき フットボール史に刻まれる「エジプトの三大神秘」だ (3ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【歴代のサイドアタッカーとの違い】

 現代サッカーにおける「ウイングストライカー」のプロトタイプはアンリだろう。柔軟なドリブル、左右両足から放たれるテクニカルかつパワフルなシュート、点で合わせる鮮やかなヘディングなど、パーフェクトに近かった。

 惜しむらくは、生まれた時代が早すぎた。彼が全盛期を迎えた1990年代後期〜2000年代初頭のプレミアリーグは群雄割拠ではなく、戦略・戦術も洗練されていなかった。

 マンチェスター・Uに在籍していた当時のクリスティアーノ・ロナウドも、サイドを主戦場にしていた時期がある。しかし、この男はいい意味でも悪い意味でも自己中心型だ。サー・アレックス・ファーガソンのもとでプレーした6年間のアシスト総数は36でしかなく、一度としてふたケタに届かずレアル・マドリードに去った。

 ただ、クラブ内で求められる役割が違うこと、フットボール全体における戦略・戦術が日進月歩であることを踏まえると、他選手とサラーの比較は陳腐かもしれない。

 たとえば、チェルシーやレアル・マドリード、バイエルンなどで大活躍したアリエン・ロッベンは、サラーに勝るとも劣らなかった名選手だ。

 しかし、所属クラブに有能なゴールゲッターを擁していたため、ロッベンはチャンスメイクに徹するケースも少なくなかった。特にチェルシーでは大外からドリブルを開始し、縦の突破を要求される左ウイングだった。

 レアル・マドリードを経てバイエルンに移籍したあとは右サイドに位置し、カットンインしながら利き足の左足を使ってフィニッシュに絡むシーンが増えていった。爆発的なスピード、緩急の使い方、アンフェアなタックルに動じないボールコントロールは、サラーと同等のアタッカーだったと言って差し支えない。

 イングランドのスタンリー・マシューズに始まり、ブラジルのジャイルジーニョ、ロベルト・リベリーノ、ユーゴスラビアのドラガン・ジャイッチ、アルゼンチンのレネ・オウセマン、クラウディオ・カニーヒアなどなど、後世に語り継がれる名ウイングは基本的にチャンスメーカーだった。

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