それは小野伸二、稲本潤一から始まった...チャンピオンズリーグ出場チームの日本人は23年かけて今季は12人に (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki

【CLに出場できなかった中田英寿】

 一方、9月11日のマジョルカとのアウェー戦に臨んだアーセナルのスタメンに、稲本潤一の名前はなかった。サブにも名を連ねていなかった。アーセナルの稲本はチーム内の順列においてフェイエノールトの小野に劣っていた。稲本が日本人初のチャンピオンズリーガーになる可能性も同様と考えるのが妥当だったので、続く「ハイバリー」で行なわれるシャルケ戦にも出場することはないだろうと予想し、ロンドン行きは考えもしなかった。

 ところが、監督のアーセン・ベンゲルはそんな日本人を仰天させる采配に出た。シャルケ戦の後半31分、ロベール・ピレス(フランス代表)に代わり、なんと稲本を投入したのである。これで日本人初のチャンピオンズリーガーの栄誉は稲本の頭上に輝いたのだった。

 小野、稲本がそれぞれフェイエノールト、アーセナルに移籍したのはこの2001-02シーズンだった。欧州ではこの時、日本人選手と言えば中田英寿のことで、圧倒的な知名度を誇っていた。前シーズンの終盤、ローマのセリエA優勝に貢献する働きを見せていたからだ。

 ローマを2000ー01シーズンをもって退団した中田はセリエA4位のパルマに移籍。2001-02シーズンのCLの予備予選に臨んだ。相手はリール。当時のセリエAは、現在のプレミアリーグのような存在で、その4位チームがフランスリーグの3位チームに負けるはずがない。日本人初のチャンピオンズリーガーは中田で決まり。パルマへの移籍が決まった瞬間、誰もがそう思ったはずだ。

 だがパルマはリールに通算スコア1-2で敗れてしまう。リールの監督、のちの日本代表監督であるヴァイッド・ハリルホジッチの前に、道を断たれることになった。中田の現役生活が29歳で終わってしまったことと、日本人初のチャンピオンズリーガーになり損ねたこと、つまりもう一段上のステージに上がれなかったことは、深い関係があると、筆者は見ている。

 日本人で初めて決勝トーナメントに進出した選手は2006-07シーズンのセルティックの中村俊輔。初ゴールを決めたのも彼だった。

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