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プレミアリーグのニューカッスルが来日 サッカーに熱狂するイングランド北部クラブの長い歴史と背景 (4ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【サッカーが都市のアイデンティティの中心】

 ただし、20世紀後半に入ると石炭産業は斜陽化し、造船業も過去のものとなった。ニューカッスルもサンダーランドも産業空洞化で苦労した時期もあったが、現在は製造業や流通業、情報産業などを誘致して見事に立ち直った。サンダーランドには、日産自動車の工場があるので有名だ。

 そして、どちらの町でもサッカーは都市のアイデンティティの中心にある。

 ニューカッスルでは都心の一等地にニューカッスルFCの本拠地セント・ジェームスパークがあり、タイン川を跨ぐタイン・ブリッジとともに都市を代表するランドマークとなっている。

 サンダーランドAFCは、1997年に新スタジアム「スタジアム・オブ・ライツ」に引っ越したが、ここはもともと石炭の集積場だったので、まさに町とクラブの歴史を象徴するようなロケーションとなった。クラブのエンブレムの中央上部に見られる黒い鉄の車輪も、炭鉱の立坑櫓の巻き揚げ装置。炭鉱を象徴するエンブレムなのだ。

 イングランド最北部のニューカッスルからはスコットランド国境も近い。その国境に向かってローカルバスで1時間ほど行くと、アニックという人口7000人ほどの小さな村に出る。ここでは、今でも中世以来の伝統的なモッブ・フットボール(暴徒のフットボール)が行なわれている。

 かつては城門から投げ下ろされたボールを、村人全員が街中を使って奪い合っていたのだが、今ではノーサンバーランド公爵所有の牧草地の中でプレーしているのだという。

 ノーサンバーランド地方では、産業革命のずっと前からフットボールが根づいていたのである。ただし、初期の頃はラグビーのほうが盛んだったようだ。サンダーランドAFCの「A」はアソシエーション。つまり、「ラグビーではなくアソシエーション・フットボールのクラブだ」ということをわざわざ明示しているわけである。

 いずれにせよ、親善試合を観戦する時にも古い伝統を誇るニューカッスルの歴史に思いを馳せてみると、よりいっそう試合を楽しめるのではないだろうか。

著者プロフィール

  • 後藤健生

    後藤健生 (ごとう・たけお)

    1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2025年、生涯観戦試合数は7500試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

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