マラドーナの「神の手」を38年前に真横から見たベテラン記者が綴る南米サッカーの「騙し合い」 (4ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【南米生まれのアイデア品】

 最近の発明品で最高の傑作がバニシングスプレーだろう。

 今では、Jリーグの審判も腰に装着しているので日本でもすっかりお馴染みだ。

 ゴール近くで反則が起こると、レフェリーはボールをセットする位置にスプレーを使って半円状の印をつける。そして、そこから10ヤード(9.15メートル)離れたところにラインを引く。守備側のいわゆる「壁」は、そのラインより前に出てはいけないのだ。

 勝負に拘る南米サッカーでは、壁の位置を巡ってトラブルが絶えなかったのだろう。

 壁は一歩でもボールに近づこうとして、レフェリーが見ていない間にじりじりと前に出てくる。それを阻止しようとする攻撃側の選手との間にトラブルも起こり、ひと悶着もふた悶着も起こり、実際にFKが蹴られるまでに数分もかかってしまう。

 南米の観客は、このやり取り自体も試合の一部として楽しんでいるからいいのかもしれないが、レフェリーたちはこれをなんとかしようとしてスプレーを考案したのである。

 もともと、スプレーというアイデアはイングランドで生まれたという。だが、イングランドのサッカー協会(FA)は、そのアイデアを拒否。実験すら行なわれなかったという。

 FAをはじめとしたヨーロッパのサッカー協会、あるいはルールを統括しているIFAB(国際サッカー評議会)は、ルール改正に関してはとても保守的なのだ。

 そこで、スプレー発明の栄誉は南米にもたらされた。

 2000年のコパ・ジョアン・アヴェランジェ(開催不能となった全国リーグに替わるブラジルの非公式大会)でスプレーが初めて使用され、2002年にはアルゼンチンで商品化されて南米各国で使用されるようになった。

 そして、2011年にアルゼンチンで開催されたコパ・アメリカで採用され、2013年のU-20W杯を経て、ついに2014年の南アフリカW杯で採用されることになった(当時会長だったゼップ・ブラッターを筆頭に、FIFAはIFABなどに比べると新しいアイデアに飛びつく傾向がある)。

 サッカールールに関する南米生まれのアイデアはこれだけではない。次回のコラムでもいくつか紹介してみたい。

著者プロフィール

  • 後藤健生

    後藤健生 (ごとう・たけお)

    1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

【画像】アルゼンチンかブラジルか コパ・アメリカ2024優勝候補のフォーメーション

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