齋藤学が語るオーストラリア移籍。「まだ、サッカーを続けないと...」と思った理由とは
「自分はまだサッカーが好きなんだな、と思いました」
齋藤学(32歳)は感慨深げに言う。
「チームが決まらない間も、ずっと体を動かしていて、どうやったらパフォーマンスを上げられるか、もっとサッカーをうまくなりたくて、進化、変化を求める自分がいました」
齋藤は昨年末で韓国1部、Kリーグの水原三星を退団後、チームを探していた。そして今年1月、オーストラリア1部のAリーグ、ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツFCのオファーを受け、入団を発表。自身、プロ6チーム目だ。
「自分を求めてくれるチームがあるのは、やっぱりうれしかったです。自分はもっとできる、もっとやれる、という思いも溢れていたので。自分のなかで、その思いを大事に......」
プロサッカー選手としての火は消えていない。
ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツ(オーストラリア)への移籍が発表された齋藤学この記事に関連する写真を見る 齋藤は横浜F・マリノスの生え抜き選手として、2008年に高3でトップデビューしている。2011年、期限付き移籍先のJ2愛媛FCで気鋭のドリブラーとして頭角を現し、2012年に横浜FMに戻ってロンドン五輪に出場。2013年には最後までリーグ優勝を争い、天皇杯優勝に貢献し、ナビスコ杯(現行のルヴァン杯)ニューヒーロー賞を受賞している。2014年にはアルベルト・ザッケローニ監督のブラジルW杯日本代表メンバーにも選ばれた。2016年にはエースとして10得点を記録し、Jリーグベストイレブンも受賞。ヴァイッド・ハリルホジッチ率いる日本代表にも選ばれている。
しかし2017年、右ひざ前十字靭帯断裂で長期離脱を余儀なくされることになり、シーズン後に川崎フロンターレへの移籍を決断した。
「あの時は、移籍しない、という選択肢はなかった。でも何か一個でも違ったら、チームに残っていたのかもしれません」
齋藤は、当時抱えていた事情をかみ殺すように言う。移籍を巡っては、ひどい誹謗中傷も受けた。
「マリノスに引き留めてもらったら、ケガをしていなかったら、今のような年齢だったら、あるいはもっと若かったら......とか、考えたことはありますね。結果的に、移籍は悪い見え方になってしまった。でも、今から戻っては変えられないんです。それに、あの移籍があったからこそ、出会えた人もたくさんいて、自分だけの経験だし、"これが自分の道なんだ"と思っています」
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