スペイン代表は欧州の強豪ではなかった。弱いうえにつまらなかった暗黒時代 (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by AFLO

さんざんだった自国開催のW杯

1982年、自国開催W杯のスペイン代表。西ドイツ、イングランドと戦った2次リーグで敗退した1982年、自国開催W杯のスペイン代表。西ドイツ、イングランドと戦った2次リーグで敗退したこの記事に関連する写真を見る そうなると、カスティージャ、カタルーニャの中心都市で、スペイン代表戦は組みにくい。自国開催のW杯1982年スペイン大会で、スペイン代表が1次リーグの3試合を戦った都市もバレンシアだった。

 そんなスペイン人気質に変化が見られたのは、スイスとオーストリアで共催されたユーロ2008だ。スペインは初戦を、後に準決勝でも戦うことになるロシアと戦ったが、その舞台となったインスブルックには、いつになく多くのスペインのサポーターが結集した。ヨーロッパアルプスの山岳都市に、はるばる駆けつけたスペイン人サポーターに、おやっと目を奪われた記憶がある。

 スペインはこの大会で、国際大会では1964年の欧州選手権以来となる44年ぶりの優勝を飾った。「スペイン人は今回のユーロを通して代表チームを応援する楽しさを学んだ」とは、同国の新聞記者の見解である。

 スペインはその2年後、南アフリカW杯でW杯初優勝を遂げる。4年後のユーロ2012(ウクライナ・ポーランド共催)でも優勝し、連覇を達成。スペインサッカー史上、最も華々しい時代を迎えることになった。

 先述の1982年W杯は、逆に最も見るに耐えない時代だった。1次リーグをギリギリ2位で通過したものの、西ドイツ、イングランドと同じ組で戦った2次リーグでは最下位。計5戦を戦って1勝2分2敗という戦績だった。唯一の勝利は1次リーグ2戦目のユーゴスラビア戦。ヘニング・ルント・ソーレンセン主審の誤審に助けられた、まさにW杯史に刻まれる醜い勝利だった。

 スペインは初戦で小国ホンジュラスに引き分けていた。相手に先制され、同点に追いついたのは後半37分で、それもPKによるものだった。初戦も審判の手助けとも言える判定がなければ負けていたかもしれないような試合を繰り広げていたのだ。

 続く試合がユーゴスラビア戦で、スペインはまたもや開始10分、被弾する。ユーゴスラビア代表MFヴラディミール・ペトロビッチが上げたクロスボールを、DFイバン・グデリがヘディングでネットを揺らす美しいゴールを決められていた。

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