母国を追われたハカン・シュクル、うつ病を告白のドノバン...2002年の人気者たちはいま (2ページ目)

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko
  • photo by AFLO

「生きるために運転している」

「今の私には何も残っていない。エルドアンが私のものをすべて奪っていった。私の権利、自由、言論、そして仕事までもだ」と、シュクルはドイツ「ヴェルト」紙に語っている。

 サンフランシスコのカフェでも嫌がらせが続き、彼は店を閉めざる得なくなる。ワシントンに移ったシュクルは、ウーバーの運転手となった(日本ではウーバーは食品のデリバリーとして知られるが、アメリカでは空き時間に自家用車で人を乗せるライドシェア事業が有名)。

「生きていくために私は運転している。それは当たり前のことで、恥じることではない」(前出「ヴェルト」)と語るシュクルは、男女の高校生や大学生にサッカーのプライベートレッスンなどもしているようだ。

「やはり自分が一番得意なことをしたい」

 レッスンの様子をSNSにアップながら、彼はそうコメントしている。トルコリーグについてのコメントも欠かさない。特に愛するガラタサライについては熱が入るようだ。

イルハン・マンスズ(トルコ)

 ハカンとともにこの時のトルコ代表で忘れられないのがイルハンだ。

日本でも多くの女性ファンにアピールしたイルハン・マンスズ(トルコ)日本でも多くの女性ファンにアピールしたイルハン・マンスズ(トルコ)この記事に関連する写真を見る そのゴールと同時に多くの人が覚えているのは彼の甘いマスクだろう。日本では「王子」などと呼ばれ、貴公子デイビッド・ベッカムと人気を二分した。2004年にはヴィッセル神戸に移籍したが、ケガと日本での生活があまり合わなかったことから、3試合をプレーしただけで帰国してしまった。

 2006年にドイツで交通事故にあい、リハビリを続けたものの、それがもとで2007年、32歳で現役を引退した。しかし、2008年に日本で中田英寿が主催した「+1フットボールマッチ」に出場、ジョゼ・モウリーニョ率いるチームでプレーして2ゴールを決めると、まだ自分はできるという気持ちが強くなり、2009年7月にミュンヘン1860の練習に参加する。だが、契約には至らず、2009年10月に正式に引退を表明した。

 エンターテイメント界は彼を放ってはおかず、まだ現役中の2005年にテレビドラマに出演。2007年には国営放送の「ドクター」というドラマで重要な役どころを演じて人気を博した。

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