奥川雅也が語る欧州サッカーと日本代表。「今選ばれている選手とはタイプが違う」
奥川雅也インタビュー(後編)
前編を読む>>
――奥川選手は19歳で日本を飛び出し、ザルツブルクに渡りました。
「行きましたね。でもやはり、最初の4年は苦労したと言えば苦労した、ですかね。レンタルが続いて。(2018-19シーズンに)ドイツのキールでプレーしましたけど、それが僕の転機になったというか、充実した1年でよかったです」
――キールは何がよかったのでしょう?
今季ビーレフェルトで33試合に出場、8得点を決めた奥川雅也この記事に関連する写真を見る「サッカーに対するファンの後押しって、やはりサッカー選手には必要だと思うんですけど、それがすごくよかったんです。やりやすいというか。ザルツブルクにもファンはいたんですけど、いつも優勝するようなチームでも、普通のリーグ戦だとスタジアムの観客は(当時)3000人から4000人で、今とはちょっと違ったんですよ。サッカーのレベル自体は当時も高かったんですけどね。で、初めてキールでプレーした時は、ドイツの2部ですけど、毎回スタジアムは1万人を超えていた」
――街にサッカーカルチャーが根づいていた?
「そう、それがもうすごく楽しくて、よかったですね。キールは北部の港町で、僕は夏が終わる頃に加入したんですけど、もう寒さとか強い風とかがあった。でも、街の暖かさというのがあって、ちっちゃい街にファンが多いので、身近にいるんですよ。そこはすごかったですね。僕は大きい街より、ああいう小さい街が好きですね。ビーレフェルトもそんな大きい街じゃなくて僕は気に入っているのですが、そういう環境って、アジア人とかには特に嬉しいと思いますよ。よそから来てるのに優しくされるのは嬉しいものです」
――ただ、ドイツ2部のサッカーは体力勝負のゴリゴリ系だったのでは?
「それが、僕がいたのはボールを回すほうのチームで、サッカー自体も僕向きだったというか、合っていたんです」
――キールへのレンタルが終了してザルツブルクに戻る頃の報道で、「キールに残りたい」というのと、「ザルツブルクに戻れて嬉しい」という両方のコメントを見ました。どちらが本音だったんですか。
「両方、もうほんまに両方です。4シーズンもレンタル続きだったので、帰ってきてほしいと言われた時はやはり嬉しかったですし、それとは別に、プロキャリアを思い描いた時に、(レンタルを含めて)もう4年もザルツブルクの選手だということを考えると、ドイツのほうが活躍した時の幅の広がり方が全然違う。そういう意味でドイツのサッカーの魅力というのは自分自身で感じていたので、残りたいという気持ちもありました」
1 / 3