中山雄太はサイドバック、センターバック、リベロにも即適応。「フォワードをやれと言われたら、やれる自信はある」

  • 中田徹●取材・文 text by Nakata Toru
  • photo by Getty Images

 昨年11月16日、日本代表は敵地でオマーンを1−0で下し、ワールドカップアジア最終予選でグループAの2位に浮上した。

 中山雄太(ズヴォレ)は長友佑都(FC東京)に代わって62分からピッチに入ると、三笘薫(ロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズ)と息のあったプレーを披露。伊東純也(ゲンク)が81分に決めた決勝ゴールは、中山が敵陣左サイドの深い位置でデュエルに勝ってから三笘に出したパスが起点だった。

 中山は試合後の記者会見で「ある程度の期間、しっかりと連続して(左サイドバックとして)プレーできている。手応えを掴んでいる」と語った。今季、ズヴォレでも左サイドバックを主戦場としており、「所属先と代表でのプレーにつながりができている」という好循環が生まれていた。

日本代表でもズヴォレでも新ポジションで活躍する中山雄太日本代表でもズヴォレでも新ポジションで活躍する中山雄太この記事に関連する写真を見る オマーン戦後、中山は"理想の左サイドバック像"をこう語っていた。

「ただ守れるだけ、ただ攻撃できるだけじゃなくて、守れて、攻撃もできて、なおかつゲームメイクもできる。世界でも本当に少ない、希少なタイプのサイドバックだと思います。それができたら、誰と組んでもバリエーションが出せる。そこが僕のなかの、理想のサイドバックなのかなと思います」

 オマーン戦当日、ズヴォレのアルト・ランゲラー監督はオランダリーグ最下位の責任をとって辞任。2日後、クラブはフィテッセのコーチを務めていたディック・スフローダーを監督に招くことを発表した。彼はアルフレッド・スフローダー(前バルセロナコーチ→現クラブ・ブルージュ監督)の実兄だ。

 スフローダー新監督はチームの苦境を打破するため、これまでの4−3−3から5−3−2にフォーメーションを組み替えることを決断した。そして中山は、センターバックにコンバートすることになった。

 スフローダー体制の初陣となった11月21日のフェイエノールト戦は、ぶっつけ本番で新システムを試す形となった。中山は3センターバックシステムの左サイドを任された。この試合はズヴォレの右サイドが崩壊してしまい、35分までに0−4と点差を広げられてしまって大敗を喫す。

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