「奇人」がいまや「普通」の戦術へ。現代のGKは足技なしには務まらなくなった (3ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

 ただ、イギータのやり方も実は戦術と無関係ではない。

 ナシオナルとコロンビア代表の監督を兼任したフランシスコ・マツラナは、世界に先駆けてゾーナル・プレッシングを行なっていた。プレッシングはイタリアのミランのアリゴ・サッキ監督が始めた戦術として有名だが、マツラナ監督もほぼ同じタイミングで着手している。

 ミランの模倣ではなく、リカルド・デレオンというウルグアイの監督が1960年代に発明したものを掘り起こして復活させていたのだ。デレオンは今でこそ「ゾーンプレスの発明者」として再評価されているが、当時は先進的すぎて「アンチ・フットボール」と非難されていた。

 奇人扱いだったデレオンの戦術は超コンパクトな陣形とゾーンディフェンスによるプレッシングが特徴だった。そして広大なディフェンスラインの裏をカバーするには、ペナルティーエリアの外でプレーできるGKが必要だった。約20年後、それにうってつけの奇人GKが出現したわけだ。

 マツラナ監督はイギータのプレースタイルは戦術的なカギだったと語っている。

「プレッシングは運動量が必要と思われているが、実はそうでもない。全員がいっせいに動くのでそう思われがちだが、1人の移動距離は10メートル程度にすぎず、それよりも集中力が重要だった。イギータはそれをもたらしてくれる存在だった」(マツラナ)

 集中力どころか、観客に心臓発作を起こさせかねないイギータだったが、異端の戦術のチームに相応しい異端のGKだった。

 1992年のバックパスに関するルール改正は、別名「イギータ法」と呼ばれた。

<「その時は拍手をすればいい」(ヨハン・クライフ)>

 1988年、ヨハン・クライフがバルセロナの監督に就任し、プレースタイルを抜本的に変えていった。そのなかの1つがGKのポジショニングだ。

 その時のGKアンドニ・スビサレッタは、監督があまりにも高いポジショニングを要求するのに面食らったという。コンパクトな陣形の浅すぎるラインの裏をカバーするための要求なのだが、ペナルティーエリアを遠く離れた場所にいるGKなどスペインでは誰も見たことがなかった。

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