メッシ退団発表でバルサを包む喪失感。今も鮮明に残る「僕は無敵」の言葉
8月6日、筆者が目覚めると、スペインから通信アプリにいくつものメッセージが届いていた。
「Tristeza」(悲しさ)
それが一番多く使われていたスペイン語で、涙顔の絵文字がついていた。「Leo」という文字も同じく多かった。もちろん「Leo」はリオネルの略称だ。
この日、バルセロナがリオネル・メッシ(34歳)の退団を正式に発表した。
これまでクラブはメッシ本人と契約交渉に臨み、ひとつの合意に達していたという。7100万ユーロ(約85億円)の年俸を、3500万ユーロ(約42億円)と、ほぼ半分に大幅減俸。これでリーガ・エスパニョーラが定めたサラリーキャップ(クラブが選手との契約に使える年俸総額の上限)をクリアできるかと思われたが、やはり難しかったようだ。
バルサにとって、そしてリーガにとって、メッシとは何者だったのか?
バルセロナから正式に退団が発表されたリオネル・メッシこの記事に関連する写真を見る 2004年10月16日、オリンピックスタジアム。バルセロナ五輪のメインスタジアムを本拠としていたエスパニョールとの試合で、当時17歳だったメッシはリーガデビューを飾っている。
筆者は当時、スタジアムから徒歩で15分のところに住んでいて、その場を目撃することができた。特定の取材がない週末は、近場のエスパニョールの試合に通っていたが、たまたまバルサ戦でメッシのデビューとなった。それは幸運だったが、偶然ではない。
2003年11月、バルサの下部組織で育ったメッシは、親善試合で初めてトップチームのユニフォームに袖を通した。ポルト(ポルトガル)のドラゴンスタジアムのこけら落とし。まだ16歳だったが、才能の片鱗は見せていた。
ただ、メッシの主戦場はしばらくバルサBだった。16歳の少年は、大人たちの情け容赦ないタックルを食らいながら、めげずに突進していた。その姿はすでに英雄的だった。
そんなメッシのデビュー戦を、地元は待ち焦がれていた。
「これはルーキーへのご褒美ではない。レオが勝ち取ったチャンスだ」
エスパニョール戦でメッシを交代でピッチに送り出したフランク・ライカールト監督は記者会見でそう語っていた。
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