2021.05.12

イニエスタをさらに多彩にしたコロンビアの怪人。敵ボールは奪わない

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 赤木真二●写真 photo by Akagi Shinji

異能がサッカーを面白くする(15)~コテコテ系MF編
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 移籍の自由と、3人以下に限られていた外国人枠の事実上の撤廃を謳ったボスマン判決。このルールが施行されたのは1996-97シーズンで、欧州サッカー界はそれを境に大きくさま変わりした。世界各国の多様な選手が欧州の地に続々と結集。その最高峰の戦いであるチャンピオンズリーグ(CL)は、まさに万国旗はためく、ワールドワイドな舞台へと昇華していった。

 1961年9月生まれのその選手は、1996-97の開幕をまもなく35歳の誕生日というタイミングで迎えていた。一般的には、出場が叶わなくなったとしても不思議はない年齢だが、カルロス・バルデラマはその1年前、コロンビア代表の10番兼キャプテンとしてコパ・アメリカ(ウルグアイ大会)に出場。チームを3位に導いていた。

 前身のチャンピオンズカップからCLに名称が変わった1992-93シーズンの開幕を、31歳というタイミングで迎えたバルデラマだが、この大会にも出場した記録がない。欧州サッカー界でプレーした期間が、そもそも4シーズンしかない(モンペリエで3シーズン、バジャドリードで1シーズン)のである。「世界の名プレーヤー100人」を選べば、文句なく選出されそうな名手なのに、欧州の大舞台で活躍した機会はごくわずかだ。

90年イタリア、94年アメリカ、98年フランスの各W杯に出場したコロンビア代表カルロス・バルデラマ90年イタリア、94年アメリカ、98年フランスの各W杯に出場したコロンビア代表カルロス・バルデラマ  バルデラマは1987年、南米最優秀選手に選ばれていた。同年のコパ・アメリカの3位決定戦で開催国アルゼンチンを撃破。その立役者として南米大陸に衝撃を与えた。1987年コパ・アメリカは、日本のお茶の間では視聴することができなかったと記憶する。もちろんネット社会も発達していなかった。

 日本人にとってバルデラマは、知る人ぞ知る選手。遠く離れた場所でプレーしていた、まさに伝説化されやすい選手だった。

 筆者が初めて実際に見たのは、その2年後に行なわれた1989年コパ・アメリカ、ブラジル大会だった。

 ボンバーヘア。しかも金髪。ライオンのたてがみのようで、毛の量も凄い。常軌を逸したヘアスタイルで、ピッチ上に主役として君臨した。ピッチをパッと眺めただけで、どこにいるか、ひと目でわかる圧倒的な存在感を発していた。