W杯で活躍のトルコの英雄がウーバー運転手? エルドアン大統領から圧力

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko
  • 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

あのスーパースターはいま(9)
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 トルコ代表のハカン・シュクルを覚えているだろうか。191センチという長身を活かした破壊力抜群のストライカーで、トルコサッカー史上、最も偉大な選手のひとりに数えられる。

 2002年の日韓W杯にエースとして出場。宮城スタジアムで行なわれた決勝トーナメント1回戦の日本戦もフル出場した。3位決定戦では韓国相手に開始たったの10.8秒でゴール。これはW杯の最速得点記録として、今も破られていない。

 韓国を破ったトルコは3位となり、これは同国のサッカー史における国際大会での最高成績となった。ハカン・シュクルは代表チームで1999年から2007年まで15年間プレーし、112試合、51ゴール。2位のブラク・ユルマズ(24ゴール)を倍近く引き離してのトルコの歴代得点王だ。

 クラブチームでは主にガラタサライでプレーし、408試合に出場し189ゴール85アシスト。国外ではイタリアのトリノ、インテル、パルマ、イングランドのブラックバーンでプレーした。インテル時代はクリスティアン・ヴィエリの絶頂期と重なり、その陰に隠れてしまった印象だが、初めてのミラノダービーでは開始11分の早さでゴールを決めている。

2002年日韓W杯ではトルコ代表のFWとしてプレーしたハカン・シュクル2002年日韓W杯ではトルコ代表のFWとしてプレーしたハカン・シュクル 選手時代のシュクルはトルコでは絶対的な人気を誇っていた。イングランドにおけるデビッド・ベッカムや、フランスにおけるジネディーヌ・ジダンの比ではない。サポーターからはクラル(王)の称号で呼ばれた彼は、ナショナルヒーローであり、ヨーロッパ世界におけるトルコの顔でもあった。彼の結婚式には、スポーツ界ばかりか財政界のお歴々が出席し、その様子はテレビで生中継されるほどだった。

 しかし、その絶大な人気が、その後のシュクルの人生を変えることになる。かつてのトルコの英雄は現在、アメリカのワシントンでウーバーの運転手(日本では食品のデリバリーとして知られるウーバーだが、アメリカでは空き時間に自家用車で人を乗せるライドシェア事業が有名である)をして糊口をしのいでいる。そこまでの道のりは波瀾万丈の物語のようだ。

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