バロンドールに選ばれたアフリカの英雄が大統領になり、コロナ禍にも対応 (2ページ目)

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko
  • 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

 そこには、以前に会った南アフリカの指導者、ネルソン・マンデラの影響もあったという。マンデラはウェアのことを"アフリカの誇り"と呼び、その影響力を祖国のために使ってほしいと彼に語っていた。「自分の国と、その人々のために何かしなければいけないと思った」(イギリス『ガーディアン』紙)と、後にウェアは語っている。

 2005年、リベリアで初の民主選挙が行なわれると、ウェアは大統領選に打って出た。政治経験の浅い彼は、当選こそしなかったが、40%近い票を得て次点だった。2011年の選挙では、今度は副大統領を狙ったが、これも当選までには至らなかった。

 だが、ウェアは道を切り開く男だ。2017年12月、リベリアが、初めて国際機関などの協力なしに独自の力で行なった大統領選挙で、60%の得票を得て、彼はついに大統領に就任した。元プロサッカー選手が一国の大統領となったのは初めてのことである。

「サッカーを始めた時、私はバロンドールを獲得することになるなど思いもしなかった。ただ情熱だけはあった。日々懸命に練習し、寝ている時、食事の時でさえトレーニングをイメージしていた。だから政治の世界でも、懸命に頑張れば、決して不可能はないと思った」

 現在もウェアは大統領の座にあり、コロナ禍に襲われる国を率いている。リベリアは過去にエボラ出血熱のパンデミックを経験しているだけに、それを教訓に、いち早くコロナ対応をした国のひとつだと言われている。

 一方、ウェアと同じくミランでプレーしたカハ・カラーゼは、故国ジョージアで政治の世界に入った。カラーゼはジョージア人として初めてセリエAでプレーした選手であり、ミランでは2002-03シーズンと2006-07シーズンにチャンピオンズリーグ(CL)で優勝。当時のミランには多くのスター選手がいたが、高い守備力と安定性でレギュラーの座を手に入れた。もともとはSBだが、CBもできるので、パオロ・マルディーニ不在時には、その代役を務めたものだ。

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