ミラン黄金期を築いたオランダトリオ。その後は3者3様も監督では大成せず (2ページ目)

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko
  • photo by BUZZI / FOOTBALL PRESS

 本当に彼がその考えから解き放されるのは40歳のころだったという。

 そんなファン・バステンを救ったのが、現役時代から趣味としてプレーしていたゴルフだった。手術で足首を固定してしまったので、もうボールを蹴ることはできなかったが、ゴルフならばできる。サッカーを忘れようとするかのようにファン・バステンはゴルフに熱中し、一時期は週に3、4回プレーし、プロのレッスンも受けていたという。そして2000年にハンディキャップ3.5となり、オランダゴルフ界のトップディビジョンデビュー。この時ほどオランダでゴルフがメディアの注目を集めたことは過去になかったという。

 その後、ファン・バステンはサッカーの世界に戻ってくる。古巣のアヤックスの監督を皮切りに監督業に乗り出した。オランダ代表、アヤックスのトップチームなどを率いたが、選手時代ほどいい成績を残すことはできなかった。ファン・バステン自身は早いうちから、自分は優秀な監督にはなれないと思っていたという。

「アヤックスに戻って間もない頃、ひとりの若い選手が私を呼びとめてこう言ったんだ。『おい、あんたファン・バステンなんだろ? ちょっと技を見せてくれよ』しかし、すでに私の足首は動かなくなっていた。その時私は悟った。かつて私を指導してくれたような監督たちのようには、私は決してなれないとね」

 ちなみにその若者とは、ズラタン・イブラヒモビッチだった。

 結局、ファン・バステンは2015-2016年にオランダ代表のアシスタントコーチをして以降、監督業からは一切足を洗った。

「監督業はつらかった」と彼は振り返る。選手とは違うプレッシャーと日々戦い、記者会見の前はいつも誰もいない部屋で床に寝そべり、非難に対する勇気を蓄えていたという。

「私はサッカーに対してはマニアなので、完璧でないと我慢できなかった」

 監督を辞めた2016年からは2018年まではFIFAの技術発展部門の責任者に就任。新たなサッカーのルールなどの提言を多数した。中には「オフサイドをなくす」など、なかなか理解を得られないアイデアもあったが、彼が最も力を入れたのはVARの導入で、それはロシアW杯で実現した。

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