たぶんメッシよりすごかった。マラドーナにあった猛烈なエネルギー (2ページ目)
アステカスタジアムは揺れていた。震度1か2か、その程度はあったと思う。鮮明に記憶しているのは、足場となる2階席最前列のコンクリートの床に、小さな穴が空いていたことだ。そこから階下の様子をのぞき込むことができたのだが、目は同時に、コンクリート構造のスタンドの厚みも知ることになった。わずか数センチという薄さだった。そこで揺れを感じていると、スタンドが崩れ落ちるのではないかと、恐怖に襲われ、足がすくんだ。以降、「60メートル5人抜きシュート」の映像を見るたびに、あの時の揺れと、コンクリートに開いた穴の存在を思い出す。
同時に、「いまならあのプレーはできるだろうか」と思う。マラドーナが現役なら、60メートル5人抜きはできるだろうか、と。当時のサッカー界には、プレッシングサッカーという概念はなかった。単純に下がって守ることがディフェンスだった。
リオネル・メッシにはプレッシングをかいくぐる術があるが、マラドーナはどうなのか。メッシとマラドーナ、「すごいのはどっち」と、必ずやそこで自問自答している。答えはマラドーナで常に同じなのだが、実際に見てみたいという思いに毎度、駆られることも事実だ。メッシと同じ時代にマラドーナを見たかった。メッシよりマラドーナのほうが推進力、馬力、そして躍動感に富んでいたとう思うが、実際にはどうなのだろうか。
マラドーナを初めて見たのは1979年、日本で開催されたワールドユース大会で、マラドーナはラモン・ディアスとともにアルゼンチンの2トップを張っていた。旧国立競技場のピッチを、ものすごいスピードで駆け抜けていた印象がある。
次に見たのはその3年後だった。1982年スペインW杯。バルセロナのいまはなきサリアスタジアムで行なわれた2次リーグのブラジル戦で、マラドーナはブラジルのMFバチスタのお腹を蹴っ飛ばし、退場処分に課せられたシーンも脳裏から離れない。
準決勝で地元イタリアと対戦した1990年イタリアW杯も記憶に残る。舞台は当時、マラドーナが在籍していたナポリの本拠地サンパオロスタジアムだった。イタリア代表より、地元の英雄マラドーナ(アルゼンチン)に肩入れする観衆の多さに驚かされたものだ。当時の日本にはまったく存在しなかったクラブサッカーの文化に、マラドーナを通して触れることになった。カルチャーショックとはこのことだった。
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