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「日本人なんていらない」の概念を覆す。奥寺康彦はブンデスリーガで大活躍 (4ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • photo by Getty Images

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――練習参加した時はあれだけパスをくれたのに、来てみたら違ったと。

「そうなんですよ。いいタイミングで走ってもパスをくれなくて、そういうのは何回もありました。でも、それはしょうがなかった。今思えばやっぱりアピールが大事だったんだけど、それが僕はちょっと下手だった。弱気だったかなと思いますね」

――移籍の後押しの要因にもなったバイスバイラーさんは、どんな監督でしたか?

「まず実績がすごい監督です。ケルンの前のボルシアMGは今でこそ大きなクラブだけど、当時は小さな町のクラブでした。そこでリーグやポカールを何度も優勝して、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)でも優勝したわけですからね。選手の選び方に固定観念がない人でしたね」

※ヘネス・バイスバイラー...1960年代から70年代に若い才能あふれる選手を見出し、ボルシアMGをドイツ屈指の強豪に育てた名将。バルセロナでも監督を務め、その後ケルンでも国内タイトルを獲得した。

――固定観念がないというのは?

「ボルシアMGにアラン・シモンセンという選手がいたんですよ。デンマーク人で金髪の170cmもない小さな選手で。当時のブンデスリーガでは、こんな小さな選手は飛ばされてケガするような感じにしか見えないんですよね」

――今でも、ドイツで170cmもないのはかなり小さな選手ですよね。

「でもバイスバイラー監督は、そんな選手を呼んで起用したんです。そこでシモンセンはすごく成長して、4シーズン目くらいにチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)で準優勝して、バロンドールを獲ったんですね。

 そうやって見出された名選手がいっぱいいるんですよ。だから彼の選手を見る眼は、本当に特別な才能でしたね。僕の獲得もまさにそう。普通のクラブであれば『日本人なんていらない』と言われますから」

――実際にそういった声もあったのでしょうか?

「彼はあるインタビューで『どうして日本人なんだ?』と聞かれた時に『サッカー選手に国は関係ない 』と、そう答えていましたね。あの時代に、そういった偏見や固定観念のない眼で選手の才能を見出すのは、やはり特別な監督でしたね。だからこそケルンでも、リーグ優勝ができたんだと思います」

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