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名将テレ・サンターナは美しさを尊ぶ。選手と観衆のためのサッカー (4ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

 伝統的な型を踏襲しているとはいえ、選手の特徴を生かすための非対称はテレ・サンターナ監督らしい。いずれも攻撃的で美しいサッカーを志向していた。

 サンパウロ時代は5年間、練習場に住み込んでいる。その勤勉な姿勢とともに、規律に厳しい監督でもあったが、誠実で真っ直ぐな人柄と公平な態度は誰からも慕われ、信頼されていた。何より、選手が喜びを感じてプレーし、ファンを楽しませるチームをつくろうとする姿勢と手腕に定評があった。敗北のリスクを恐れず、その信念を貫き通した。

 結局のところテレ・サンターナのチームが美しかったのは、彼自身が美しい人柄だったからだろう。たんなる戦術家や優れたモチベーターの枠を超え、つくり物ではない人間力、選手と観衆のためのサッカーという信念の真っ当さ、美しいサッカーを尊ぶ純粋さ――それが魅力的なチームを生み出した源泉であると思う。

「82年W杯は、優勝したイタリアではなく、ブラジルなら11人の選手の名を言えるという人が多いのではないか」

 クライフはそう言っていたそうだ。

テレ・サンターナ
Tele Santana da Silva/1931年6月26日生まれ。ブラジル・ミナスジェライス州イタビリート出身。現役時代は50年代にフルミネンセの右ウイングで活躍。引退後は同チームのユースチームから指導を始めてトップの監督に昇格。以降、フルミネンセ、アトレチコ・ミネイロ、グレミオ、パルメイラスで州選手権制覇の手腕を発揮する。82年、86年両W杯のブラジル代表監督を務め、92年、93年はサンパウロでトヨタカップを連覇した。06年4月21日に逝去

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