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オシムやクライフとは異なるタイプ。
ファーガソンのすごさは観察力だ (2ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

 セント・ミレンを経てアバディーンの監督を8年務めた。ファーガソンの名声が一気に高まった時期だ。3回のスコットランドリーグ優勝、1982-83シーズンはレアル・マドリードを破ってカップウィナーズカップで優勝している。

 マンチェスター・ユナイテッドの監督に就任したのは86年11月だが、その年の夏はメキシコワールドカップのスコットランド代表監督だった。この時のファーガソンはまだアバディーンの監督だったので兼任である。

 このワールドカップの予選までは、ファーガソンの師匠だったジョック・ステインが監督だったのだが、プレーオフ進出を決めたウェールズ戦で心臓発作を起こして他界してしまい、コーチだったファーガソンが暫定的に継ぐ形になったのだ。無事プレーオフを通過してワールドカップに臨んだが、グループリーグ敗退に終わっていた。

 ステインはセルティックでリーグ9連覇を成し遂げた、スコットランド史上に残る大監督だった。1966-67のチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)ではインテルを破って優勝。スコットランド初のヨーロッパチャンピオン、英国でも最初の快挙である。ファーガソンにアバディーン監督就任を勧めたのもステインだったと言われている。

 リーグの規模として、イングランドはスコットランドよりはるかに大きい。ただ、イングランドのクラブサッカーを牽引していたのは、スコットランド人だった。

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