歯科医だったコロンビアの名将。30年前に先進的サッカーができた謎 (5ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

 本来持っていた技巧を生かす攻撃サッカー、華やかだったエル・ドラドの時代の再現、そのためにはまずボールを奪う方法を変える必要があった。

「我々のサッカーで重要なのはボールだ。すごく走っているように見えたかもしれないが、6、7人がいっせいにアクションを起こしているのでそう見えるだけで、ひとりが動いている距離は10メートルなのだ」(マツラナ)

 デレオンのゾーナル・プレッシングを発掘したマツラナ監督は、同時にカルロス・バルデラマやフレディ・リンコン(共に90年、94年、98年W杯出場)といった技巧派を重用し、最新鋭の先進性と古典的な技巧を融合させた。

コロンビアの人々が心から楽しめる、なおかつ強力なサッカーをつくり上げた。

フランシスコ・マツラナ
Francisco Maturana/1949年2月15日生まれ。コロンビア・キブド出身。現役時代はアトレティコ・ナシオナルを中心にDFとして活躍。86年に監督業をスタートさせると、トヨタカップに出場したアトレティコ・ナシオナルや、90年、94年W杯のコロンビア代表を指揮し、注目を集めた。その後もスペインや中南米で、クラブチームや代表チームのコーチ、監督をつづけている。19年はコパ・アメリカを戦うベネズエラ代表のテクニカルアドバイザーを務めた

5 / 5

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る