本田圭佑を14年前から知るボタフォゴ新監督。「特別扱いはしない」 (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳translation by Tonegawa Akiko

 私が鹿島アントラーズの監督をしていた時、彼が所属していた名古屋グランパスと対戦した忘れられない試合がある。非常に難しい試合で、たしかイエローが11枚も出されたのではなかったろうか。勝ったのはアントラーズだったが、勝利にたどり着くまで、かなり苦しめられた記憶がある。

 私が日本に行った時、ジーコのすばらしい仕事のおかげで、鹿島はとてもいいベースができあがっていた。プレシーズンのトレーニングには、契約したばかりのまだ17歳の高校生も参加していた。私はこの少年の練習を3回見て、「よし、君はこれから私のもとでプレーするんだ」と言った。

 周りのスタッフは慌てて私を止めようとした。日本ではこんなに若い選手がトップチームでプレーする例があまりなかったからだ。しかし私は自分の考えを曲げず、この少年をプロの舞台で使うことにした。その若きSBの名前は内田篤人といった。その後、彼は日本を背負って立つ選手に成長した。

 日本人選手のメンタリティーを、私は多少なりとも理解しているつもりだ。私のこの知識を駆使して本田をアシストし、彼が今後ぶつかると予想される問題を、できるだけ回避できたらと思う。彼にいらない心配はさせないようにしたい。

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