三浦泰年がブラジルでサプライズ。
田舎チームが奮戦、選手に伝えたこと

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳translation by Tonegawa Akiko

 ブラジルで一番有名な日本人選手といえば、やはり三浦知良だ。彼が52歳でプロ契約を延長したことは、ブラジルでもかなり話題となった。しかし、記録をうち立てたのはカズだけではない。彼の兄、三浦泰年も最近、ある記録をうち立てた。史上初めて、ブラジルのチームを率いる日本生まれの日本人監督となったのである。

 ブラジルでは毎年1月にコパ・サンパウロというユース大会が行なわれる。1969年から始まり、今年でちょうど50回を数える伝統ある大会だ。ブラジル全国からプロアマ問わず、約120のU-20のチームが集まり、30のグループに分かれて、1カ月をかけて優勝を争う。若手選手の登竜門としても有名で、毎年ブラジル国内外のクラブチームがスカウトを送り込んでいる。

 昨年11月、三浦泰年はこのコパ・サンパウロを戦うチームの監督に就任した。ブラジルの北東部セルジッピ州にあるソコーロのU-20の監督だ。日本人で初めて、ブラジルのプロリーグでゴールを決めた選手として、ヤスはブラジルでも知られている。その彼が今度は日本人で初めてブラジルのチームを率いることになったというニュースは、ブラジルでも大きく報じられた。日本人どころか、アジア人、いや欧米人以外の外国人監督が、ブラジルのチームのベンチに座ったことは、今だかつてなかったからだ。

去年からブラジルを本拠に活動している三浦泰年(写真は昨年のコパ・アメリカ)photo by AFLO去年からブラジルを本拠に活動している三浦泰年(写真は昨年のコパ・アメリカ)photo by AFLO おしゃれな銀髪で笑顔のヤスは、このコパ・サンパウロに参加した127人の監督の中で間違いなく一番フレンドリーだった。メディアやサポーターの興味を大きく引き、ソコーロの試合があるたびに、スタンドではいつも彼を応援する「ヤス!ヤス!」の声援が上がっていた。

 ソコーロはブラジルでも一番貧しいと言われるセルジッペ州にあるチームだ。そこにヤスは2つの日本企業のスポンサーを連れてきた(パナソニックとYKK)。大会期間中のみのスポンサーだが、それでも故郷から2000キロ離れたサンパウロ州で戦わなければいけない彼らには、大いなる助けとなったことだろう。一方、ヤスはブラジル初の日本人監督の称号を手に入れた。うまくいけば、これを足掛かりに今後ブラジルのより大きなチームの監督に就任できるかもしれない。

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