コクーとカイト。オランダから
ユーティリティー選手が生まれるワケ (2ページ目)
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アンドレア・ピルロ(イタリア)は、トップ下からアンカーにポジションを下げて新境地を拓いた。フランツ・ベッケンバウアー(西ドイツ/当時)も、MFからリベロへ転向して大成功を収めている。こちらのケースはマイナーチェンジだ。彼らの資質に合ったポジションを発見した、あるいは能力に合わせて新しいポジションの役割をつくっているので、本人にそれほど苦労はなかっただろうと思われる。
※リベロ...守備時はセンターバックを務めながら、攻撃時には中盤や前線にあがってプレーする役割のポジション
ウイングとSBは必要とされるスピードという能力に共通点があり、ボランチとセンターバックも近い。フィールドプレーヤーとGKを兼ねる選手はさすがにいないが、少年時代はGKだったというFWは意外といるし、ペレ(ブラジル)は練習でよくGKをやっていたそうだ。ただ、極端に違うポジションへのコンバートはあまりない。
ところが、ほとんどのポジションを難なくこなすオールラウンダーも中にはいる。
オランダのフィリップ・コクーは、左ウイングとしてAZでデビューした。その後、PSVでは攻撃的MFに移ってゴールゲッターとして名を馳せ、スペインのバルセロナでは守備的MFやセンターバックとしてプレーした。さらにPSVに戻ると今度はまたMFとして活躍。本人は左のインサイドハーフが好みのようだが、どこが本職なのかわからなかった。
コクーと同じオランダの10歳下、ディルク・カイトもよく似ていた。
コクーがAZでデビューした1988年からちょうど10年後の1998年、カイトはクイック・ボーイズのトップチームに昇格し、6試合プレーしただけでユトレヒトと契約している。ウイングとしてのスタートもコクーと同じ。その後、セカンドストライカーとして得点を量産したのも同じだった。
オランダの名門フェイエノールトへ移籍すると、サロモン・カルーと2トップを組んで101試合で71ゴール。イングランドのリバプールへ移籍した。リバプールではフェルナンド・トーレスの加入とともに右ウイングへポジションを移し、オランダ代表ではサイドバック、ウイングバック、MFと幅広くプレーしている。
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