現在のルールにも影響を与えた常識外れのGK。イギータは自由を満喫した (2ページ目)
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イギータはペナルティーエリアを飛び出して、相手のロングボールやスルーパスをカットすると、そのままドリブルで1人、2人とかわす。最初は受け入れられない人も多かった。マツラナ監督は、のちにこう話している。
「最初からガンジーが好きな人ばかりではないさ」
偉大な変革者の多くは初期の段階で理解されない。しかし、イギータのプレーは時代の先を行くかどうかは別にして、受け入れない人には受け入れられない何かがあった。
南米を制した89年、国立競技場でミラン(イタリア)とインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)を争った。当時世界の最先端の戦術を行なっていたミランと、ナシオナルの戦法は酷似していた。唯一の違いは、ナシオナルのGKがよりモダンだったことだろう。いや、より未来的だった。
ナシオナルとミランが同時期に同じ戦法を採用していたのは、偶然の一致にすぎない。南米でこの戦法を始めたのはウルグアイのリカルド・デレオンと言われている。デレオンの下で選手だったルイス・クビジャが、監督の時にナシオナルに導入し、マツラナに引き継がれていた。
ただ、モデルになったのはどちらも70年代のアヤックスとオランダ代表だ。ミランのアリゴ・サッキ監督はアヤックスがモデルだと明言している。そしてデレオンは、当時のアヤックスの監督だったリヌス・ミケルスの友人だった。
オランダ代表で、極度に高いディフェンスラインの裏を守る"スイーパーGK"の元祖であるヤン・ヨングブルートの役割を、レネ・イギータは担っていたわけだ。しかも、より進化した形で。
FKやPKも得意で、GKなのに41得点している。131ゴールと桁外れのブラジルGK、ロジェリオ・セニには及ばないが、イギータが、セニやパラグアイのホセ・ルイス・チラベルト、メキシコのホルヘ・カンポスに与えた影響は無視できない。
マツラナ監督が狙っていたのは相手のフィールドプレーヤー10人に対して、イギータを加えた11人による数的優位だった。イギータはそれを明確に理解していたという。また、GKがエリアを出て攻撃に加わることで、チームに緊張感を与える効果もあったようだ。超コンパクト戦法は体力より集中力がカギだとマツラナ監督は考えていた。
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