ロベカル、カフーら名サイドバックの系譜。歴代スターの共通点は (2ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

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ダニエウ・アウベスの源流、ジュニオール

 ブラジルのSBは攻撃型が多いが、その中でも特例といえるのがジュニオールである。この人も本職はMFで、82年スペインワールドカップでは左SBだったが、次の86年メキシコワールドカップではMFでプレーしていた。

 SBとしてのジュニオールが特殊なのは、稼働範囲が左サイドに限定されていなかったところだ。その点ではダニエウ・アウベスの源流はジュニオールと言える。

 82年スペインワールドカップのブラジルはベスト4にも入れなかったが、ワールドカップ史上でも屈指のスーパーチームだった。ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾは「黄金の4人」と呼ばれ、華麗なパスワークと変幻自在のコンビネーションを披露した。

 ただ、この4人が揃ったのは大会2戦目からで、計画的に作り上げたチームではない。即興であれがやれてしまう、いや即興だからこそやれるところにブラジルの底力を感じるのだが、「黄金」は4人ではなく実際には5人で、5人目のMFはジュニオールだった。

 ジュニオールはビーチサッカーの名手でもあった。ブラジル代表としてプレーして、95年の世界選手権で優勝している。他の選手が交代でローテーションする中、ジュニオールだけはほとんどの時間をプレーしていた。

 ビーチは砂に凹凸があるのでグラウンダーのパスは使えない。ボールを踏んで砂に少し埋めてから、すくいあげて浮き球でパスをする。それがいちばんうまいジュニオールは最後尾で司令塔の役割を果たしていた。優勝セレモニーが終わると、そのままジャブジャブと海に入っていって汗を流す姿が堂に入っていたものだ。

 アルゼンチンは「牧草のサッカー」、ブラジルは「砂浜のサッカー」とも言われるが、ジュニオールはブラジルサッカーの塊のようだった。誰かに何かをやれと言われてプレーするのではなく、何物にも縛られず自由でいて極めて賢く、知識より知恵でプレーした。左SBだから左にいるべきだという固定観念など軽々と超えていった。その意味で、その場で即興的に見事な組織を立ち上げた82年セレソンの象徴といえる選手だと思う。

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