稀代のドリブラー、ロッベンは「ドリブルをするな!」の国で生まれた (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 ロッベンが16歳の時のある日、学校の授業中に携帯電話にテキストメッセージが届いた。あわてて教室を飛び出して確認すると、所属している1部リーグのフローニンゲンが、トップチームの次の試合のメンバーに彼を招集したという知らせだった。

 2001年にアルゼンチンで開かれたU-20ワールドカップで、オランダ代表は、短い間だったもののすばらしい試合を見せた(準々決勝でエジプトに敗れた)。チーム最年少の選手は、北部の村で生まれた17歳だった。

 監督を務めていたルイス・ファン・ハール(のっぺりして、ひょろ長い顔の元教師だ)は、個々の選手をほめるタイプではなかった。ファン・ハールは彼の大好きなオランダ語である「コレクティーフ(団結)」のほうを尊重した。そんなファン・ハールもロッベンについては、「あんな才能は初めて見た」と語っている。

 PSVアイントホーフェンがロッベンをべらぼうな金額で獲得したとき、やせこけた少年は学校で「900万ギルダーの男」というあだ名をつけられた(900万ギルダーは当時のレートで約4億8000万円)。しかし、キャリアの階段を順調に上がるようになっても、彼は鼻にかかった北部なまりで話す、礼儀正しい少年だった。いつも地味な学校の制服を着て、ずっと同じガールフレンドとつき合っていた。

 オランダ人レフェリーのディック・ヨルは、試合前にピッチに入るのを待って選手たちと並んでいるとき、ロッベンに「お元気ですか」とあいさつされて驚いたことがある。ロッベンは「あなた」にあたる言葉に、今のオランダではほとんど聞かれない「u」という尊敬の意味が入る単語を使っていた。
(つづく)

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