名門クラブの救世主だった富豪は、
なぜ「サポーターの敵」になったのか?

  • ジェームス・モンタギュー●取材・文 text by James Montague 井川洋一●訳 translation by Yoichi Igawa

 ロンドンのチャリング・クロス駅にほど近いその店で働いている時、ゴールドはひとつのことに気づいた。そこでもっとも売れ行きがいいのは、けばけばしい表紙のエロティックな三文小説『ハンク・ジャンソン』だということに。アダルト系に方向転換したことで店はソーホー付近で4つに増え、売り上げは年間100万ポンドを超え、1972年には経営が傾いていたセクシーショップ「アン・サマーズ」を買収した。

 さらに「ゴールド・スター出版」を立ち上げ、『エロティカ』誌を発行。彼らはこの雑誌をポルノとは異なるものと主張したが、のちに刊行された『ホワイトハウス』や『スウィッシュ』を含め、完全なる"フェティッシュマガジン"だった。

 出版業への進出によりゴールド兄弟は億万長者となったが、本の性質により警察当局から目をつけられた。1973年にはわいせつな出版に関する法律に抵触し、最高裁に2度出廷したほどだ。ただし腕利きの弁護士に守られ、投獄は免れている。

 1970年代の終わり頃、ゴールド兄弟に予期せぬ電話がかかってきた。声の主はデイビッド・サリバン――同兄弟と並ぶセクシー出版業界の有力者だ。しかし最大のライバルのひとりは、いがみ合うのではなく「手を組もう」と提案。その後、両者の関係は40年以上にわたって続くことになる。

 サリバンはウェールズの首都カーディフで労働者階級の家に生を受けた。ゴールドのような貧しさはなく、ロンドンの大学へ進学し、その頃にウェストハムを好むようになった。

 2010年の『ウェスタン・メール』紙でのインタビューで、サリバンはアダルト業界に進んだきっかけを明かしている。週給30ポンドでガソリンスタンドに雇われていた時、『ペントハウス』誌の創業者ボブ・グッチョーネのインタビューを『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』紙で読み、即座にフォトグラファーとモデルを雇った。そしてヌード写真を1ポンドで売るところからスタートしたという。

「私は自分がしてきたことを恥じていない」とサリバンは語る。「自分の職業を出版業と言ったりもしない。アダルト・エンターテインメントを生業とし、複数のラブリーな女性と出会い、多くのカネを手にしたのだ」

 1970年代後半には、イギリス国内のアダルト雑誌の約半分のシェアを獲得し、セクシーショップのチェーンも大きく拡大。サリバンがゴールドに電話をかけたのは、そんな時だった。

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