W杯決勝後、ポグバは亡き父の
写真にトロフィーを「触らせた」

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】W杯で優勝したフランスの現在(前編)

 フランスのワールドカップ優勝を取材した翌日、パリの家へ戻ってきた。僕はイギリス人だが、ちょっとした偶然もあって、2002年からこの街に住んでいる。

 パリは、すてきな週末の興奮から冷めはじめたところだった。まず、7月14日のパリ祭(フランスの革命記念日)があった。美しい花火の下で、信じがたい数の人々が将来の伴侶に出会うといわれる、国を挙げてのパーティーだ。そしてワールドカップの決勝があった。やがてフランスの長い夏のバカンスが始まり、街は空っぽになる。

 パリの空気がこんなにハッピーに感じられたのは、1998年のワールドカップをフランスが制した夜以来だ。あのとき人々は、多人種の代表チームの活躍によってフランスの人種差別は解消されると言い立てた。

 もちろん、そんなことは起こらなかった。ワールドカップが国を変えることなどありえない。しかし、国の本当の姿を示すことはある。

優勝パレードのバスに乗るアントワーヌ・グルーズマン、ポール・ポグバら photo by AFP/AFLO優勝パレードのバスに乗るアントワーヌ・グルーズマン、ポール・ポグバら photo by AFP/AFLO 今回のワールドカップが示したのは、フランスという国が、多くの国民が思っているよりも社会として成功しているということだ。代表選手の約半数が育った「バンリュー(郊外)」と呼ばれる地区は、移民が多く、貧しくて犯罪も多い場所とされてきた。だが今大会は、社会におけるバンリューの位置づけが変わってきたことも示した。

 もちろん、まだ人種差別はある。排他主義もはびこっている。国外の過激思想に影響された「ホームグロウン・テロリスト(国内生まれのテロリスト)」による事件もなくなっていない。だが今大会のフランス代表は、まぎれもなくフランスによってつくられたチームであるうえに、バンリューを「フランスらしい」場所に感じさせた。

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